Qさんの本を読むのが何よりスキ
という戸田敦也さんがQライブラリーのガイド役をつとめます

第36回
檀一雄さんの推薦文が処女出版「濁水渓」の帯を飾りました

檀一雄さんの強い後押しを得て、『濁水渓』が昭和29年12月5日に
「現代社」という出版社から刊行されました。
題字は佐藤春夫先生で、檀一雄さんが雑誌『改造』に書いた
文章が帯を飾りました。
ここに、その文章を書き写しましょう。
「戦争中東京に留学していた台湾人の大学生は
『やがて日本帝国主義が崩壊して
われわれ台湾人の自治の時代がやってくる』
と云っていた。
たまたま日本が崩壊して
台湾に幾らかは自由な天地がつくれると思っていたところ
蒋介石や国民党の連中がやって来て、
土豪劣紳に賄賂をとり密貿易をやり豚のようにふくれ上がり
台湾の土着の人々は散々な目に会った。
二・二八事件という台湾人の暴動が起って、
台湾のインテリというインテリは大半皆殺しになった。
その台湾人の故郷を失った悲しみを
邱永漢という人が『濁水渓』という小説に見事に書いている
・・・・・・・・・
(「改造十月号より」)」。
この本が出版される直前に長男の世悦さんが生まれていますが、
邱さんは処女出版のときの感想を、30年後の作品、
『野心家の時間割』(昭和59年)に書いています。
「『濁水渓』の一冊目が出版屋から届けられた時、
私は、自分の目を本に釘づけにされてしまった。
他人の著者名のついた本はいくらも見たことがあるが、
自分の名前が著者名のところに印刷してあって、
なかをひらくと自分の書いた文章が印刷されている。
私は自分の子供が生まれた時よりも、
もっと不思議な気分に包まれて、
いとおしい気分で一杯になった。
本の表紙から中身の一頁一頁をなめるようにさすり、
閉じ目についた布地の色から紐の長さまでいちいち話題にして
家内から笑われた。
もちろん、夜はそれを枕元において身辺から離さなかった。」


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2002年10月2日(水)

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