Qさんの本を読むのが何よりスキ
という戸田敦也さんがQライブラリーのガイド役をつとめます

第45回
薄井恭一さんの勧めで食べ物エッセイ
『食は広州に在り』が生まれました

邱さんが香港から横浜の港に着いたときに文藝春秋社社員の
薄井恭一さんが迎えにきてくれたことは前に書きました。
日本にきて九品仏の借家に住みはじめた頃のことですが、邱さんは
この薄井恭一さんを自宅の食事に招きました。
薄井さんは関西の食べ物雑誌「あまカラ」誌の編集長である
水野多津子さんと懇意にしていて、
邱さんにこの雑誌への連載を持ちかけてきました。

「薄井恭一さんがうちの女房の手料理で舌鼓を打ちながら、
料理についての私の屁理屈に耳を傾けていたが
『大阪で鶴屋八幡という和菓子屋さんがスポンサーをやっている
"あまカラ"という食味雑誌があります。
原稿料の代わりに、鶴屋のお菓子しかくれませんが、
その雑誌に連載してくれませんか?』とすすめられました。」
(『食は広州に在り』Qブックス版、あとがき)
駆け出しの頃のことで、邱さんは文芸雑誌へ掲載の機会などに
ありつけな身分でしたから、ありがたいと思って引き受けました。
こうして、食べ物雑誌「あまカラ」昭和29年12月号に
「食は広州に在り」の連載がはじまりました。

最初は5回か7回の予定でしたが、評判がいいので延長、延長の話が続き
昭和31年まで2年半にわたって連載が続きました。
この連載中に30年下半期の直木賞の審査が行われたのですが
「直木賞の審査委員会の席上、『あのエッセイを書いている人か』と
話題になって受賞のきっかけになったと、あとで人にきかされた」(同上)
とのことです。

この『食は広州に在り』は龍星閣という本屋さんから出版されました。
「龍星閣というのは、澤田伊四郎さんというきわめて個性的で、
一人だけでやっている出版屋さんで、
高村光太郎の『智恵子抄』をロングセラーで売っているという、
お金を担いで頼みにこられても、気に入らないものは引き受けないが、
『食は広州に在り』は気に入ったから、お願いしたい。
その代わり、本は立派につくるが、印税は払いませんよ、といわれた。
私は承知して、龍星閣から昭和32年に大家も望めないような
立派な装幀の本を出してもらった」(同上)。
ちなみにこの本が販売された頃の定価は280円で、
いま古本屋さんで10倍くらいの値段で売られています。


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2002年10月11日(金)

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