Qさんの本を読むのが何よりスキ
という戸田敦也さんがQライブラリーのガイド役をつとめます

第44回
文藝春秋の池島信平さんの一言で、
評論「日本天国論」が生まれました

直木賞受賞の日、邱さんは文藝春秋の本社に行きました。
編集局長と本誌の編集長を兼任していた池島信平さんが
邱さんを待ち受けていて
「小説のモデルは邱さん御自身ですか」と聞きました。
「自分がモデルなら、原稿の桝目をうめるようなことは
していませんよ」と邱さんは答えました。
邱さんが自分が台湾から飛び出したいきさつを語り、
「日本人は自分たちは地獄に住んでいるようなことをいうけれど、
僕から見ると天国の話ですよ」と
話しました。
すると、池島さんは
「それだ、その話を『文藝春秋』に書いて下さい。
"日本天国論"というタイトルでいきましょう」と
即決しました。
池島さんの企画に乗って、邱さんは評論「日本天国論」を書きました。
この作品を書いた頃の日本の社会情勢とこの評論で主張したこと
につき『邱飯店のメニュー』で次のように書いています。

「ちょうどその時分はいわゆる進歩派の学者の花盛りで、
ついこの間までは一億玉砕を叫んでいたひとたちが
変わり身早く平和を叫ぶようになり、
身に危険が及ぶ心配をないのをいいことに、
アメリカ人に悪態の限りをついているところであった。
そういう卑怯者に対して私は
『所謂平和論者が存在している限り、
彼らが日本をアメリカの植民地にすることから
防ぐ力があるかどうかは知らぬが、
日本がアメリカの植民地になっていない証拠にはなっている。
植民地ならば、彼等はとっくの昔に姿を消していると、
かっての植民地に育った我々にははっきり断言できるからである』
書いた。」

この作品が直木賞受賞直後の『文藝春秋』昭和31年4月号に
掲載され、邱さんが文明評論とか社会評論の分野にデビューした
作品となりました。

邱さんにその機会を提供したのが池島信平さんでした。
池島信平さんといえば文藝春秋を国民雑誌に押し上げた大編集長
ですが、邱さんにとっては自分がどういう方向に進むのか
関心を寄せてくれた人だったようです。。
池島信平さんの足跡をたどった作品に『雑誌記者 池島信平』
(塩澤実信著。文藝春秋。昭和59年)という本があります。
この本には池島信平さんの雑誌記者生活25年を記念した
「池島信平君を励ます会」への出席者名が記載されていています。
活字を追っていくと小泉信三、幸田文、徳川夢声、大佛次郎、
大宅壮一などの大家に混じって邱永漢の名前が見ます。


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2002年10月10日(木)

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