Qさんの本を読むのが何よりスキ
という戸田敦也さんがQライブラリーのガイド役をつとめます

第100回
「財界の鉱脈」でとりあげたもう一人は大屋晋三さん

邱さんは小林一三さんをとりあげて
「財界の鉱脈」の連載をはじめますが、
小林一三さんのつぎに誰について書くかで邱さんは頭を痛めます。
「二人目は誰にするかとあれこれ思案しても、
小林一三に匹敵する人は一人もいない。
明治以降の有名人では、渋沢栄一、福沢諭吉、
勝海舟といった人が面白いが、実業家として独創的で、
現代に生きている人たちの参考になる人ということになると、
必ずしもぴったりこない。

さんざん考えた末に、とうとう大屋普三さんということになった。
現役の帝人の社長をとりあげることは
気のすすまないことであったが、
破産した鈴木商店の一子会社にすぎなかった
帝国人絹会社を今日の帝人まで仕上げた人で、
しかも自分で個人の財産には
まったく関心をもたずに生きた人ということになると
小林さんとは違った意味で、
大屋さんはサラリーマン上がりの企業家社長の
チャンピオンといってよいだろう」(『邱飯店のメニュー』)

ということで小林一三さんのつぎには
大屋晋三さんを選んで連載を続け、それが完結し
『財界の鉱脈』が昭和39年に南北社から発刊されました。

さて、邱さんは大屋晋三さんにはこの連載の前に面談していて、
大屋さんの奥さんの政子さんから、
「オトウチャン(大屋さんのこと)が
『あの人は百万人に一人くらいの人。
どんなことがあっても飯が食べていける人』といっていた」と
教えられて、おおいに元気づけられたと書いています。

さて、この『財界の鉱脈』が出版されてから20年近くたった
昭和58年、小林一三さんの評伝に関する文章を選んで
『日本で一番ユニークな経営者 小林一三伝』が
Qブックスの一冊として再販されました。

邱さんはあるところで小林一三さんのことを
「お客のフトコロから痛みを感じさせずにお金をひき出す名人」
(『斜陽のあと、陽はまた昇る』)とも表現しています。
まあ邱さんがこれほど激賞する人もそれほどいませんから、
小林一三さんについての勉強意欲をそそられますね。


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2002年12月5日(木)

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