Qさんの本を読むのが何よりスキ
という戸田敦也さんがQライブラリーのガイド役をつとめます

第238回
たちまち借用された邱さん考案の葬式ファッション

邱さんは『死に方、辞め方、別れ方』を刊行してから
10年後に『私は77歳で死にたい』を刊行しました。
この中で邱さんが熊本市で講演したあとの懇親会の席で、
『死に方、辞め方、別れ方』で書いた自分の葬式
(その内容は前々回で紹介しました)と同じ形式の葬式が
同市内で行われたことを知らされたことが描かれています。

「自分で死んだあとに遺族があわてないですむように
用意のよいところを見せた。
そこまではいいのだが、
私が『プレジデント』誌に書いた
『自分の葬式はこうやって欲しい』という一文を見て、
私より一足先にこの世におさらばした人が
私のアイデアをそっくりちょうだいして葬式をやったのには、
こちらがびっくりしてしまった。

あるとき、私が熊本に講演に行って、
夜、料理店に連れて行かれた。
お酌をしてくれた女将さんが、何かの話からか、
『最近この町で有名な方がなくなってお葬式に行ったんですよ。
そうしたら、とても変わった葬式でして・・・・・・・』
『どんな葬式でしたか?』と私が聞き返した。
『それが坊さんも呼ばなくて、お経もあげないんです。
弔辞も偉い人にたのんだりしないで、
自分が手塩にかけて育てた専務に読ませたんです。
専務の方は自分がどうやって社長に拾われ、鍛えられ、
今日あるのは社長のおかげだということを
感涙にむせびながら読みましたから、思わずジーンときましてね』
『お経を読まないで、何をやったのですか?』
『それが唄なんですよ。おてもやんとか、
この土地の民謡ばかりでした。

『で、もしかしたら、線香の代わりに花じゃなかったですか?』
『それがカーネーションを霊前に一本ずつ置くんです。
それにしてもセンセイ、どうしてそんなことわかるんですか?』
と女将さんは私に聞き返した。
『やっぱり』と思わず私は自分の膝を叩いた。
『してやられた』と言ったって、
一足先にこの世を失敬した人をとがめることはできないし、
『死人に口なし』だから、
聞き正すこともできない。
しかし、その人が自分なりに形骸化した葬式に不満を感じ、
私の文章にヒントを得たのかどうかはわからないが
自分の葬式に新しい試みをしたとすれば、S
わが党の士を得たようなもので、心強い限りである。」
『私は77歳で死にたい』


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2003年4月22日(火)

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