パリだけがフランスではありません

第78回
2012年オリンピック誘致騒動顛末

7月6日午後13時40分(フランス時間)、
シンガポールでのIOC総会で
2012年のオリンピック開催都市が決まりました。
歓声に沸いたロンドン。涙を飲んだパリ。

実はこの戦い、
大昔からのイギリス、フランスの対抗心に由来するものなのでした。

なんでも一色、一方向に固まることのないフランスですが、
1998年のサッカー・ワールドカップ優勝と、
2012年オリンピック誘致に関しては
おおよそのフランス人が関心を寄せたことです。
前者は自国開催といった事情もあり、
彼らの自尊心を多いに満たしたことで。
後者は低迷しているフランス経済に
少しでも良い影響を見込めるのではないかという期待感で。

7年後のオリンピック時はどんな政治経済状況になっているか
誰にも分かりません。
しかし少なくとも精神的
(そう、フランス人は非常にセンシブルなのだと主人は言います)に
ポジティブな空気になれば財布の紐も緩むだろう。
こうして大方の人がパリに決まることを念頭に
テレビ、ラジオに聴きいっていたわけです。

下馬評でパリは最有力候補でした。
最後の最後でロンドンに持っていかれたように見えますが、
本当にそうだったのでしょうか。

というのはIOC委員会が各候補都市の下見に訪れた3月。
パリは交通機関などの大規模ストライキ当日だったのです。
彼らの各会場への移動は白バイ先導の特別体制が取られました。
パリ市は最大の努力を惜しみませんでした。
というわけで下見は滞りなく行われたようでしたが…
主人は
「パリにオリンピック、オリンピックといいながら、
自分たちのストライキは
どんな事情にもかかわらず実行するフランスだ。
これでうまくいくと思うほうがおかしいんじゃないか」
と懐疑的でした。

まあ私も「本当に良くやるネェ」という印象でしたが、
実際に「トラファルガーの二の舞」になるとは…
発表の2週間ほど前、
イギリスではトラファルガーの戦い
(イギリス海軍のネルソン提督が、
ナポレオン率いるフランスとスペインの連合艦隊を破った海戦)
200周年が盛大に祝われたばかりでした。

オリヴィエに
「フランスの仇敵って、
2度の大戦の原因となったドイツだったんでしょう」
ときいたら
「いやドイツなんて新しい国じゃなく
(ドイツとしてまとまったのは確かにそう以前ではありません)、
昔からフランスのライバルはイギリスだったんだ」
と言われました。
またしても何百年も前からの
歴史的ライバルに破れたというわけです。

*ちなみにその翌日のロンドン中心部テロ事件は、
 フランス人に一瞬「トラファルガーの二の舞」を忘れさせるほどの
 衝撃を与えました。


←前回記事へ

2005年7月15日(金)

次回記事へ→
過去記事へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ