国際結婚してフランスの田舎に住んで

パリだけがフランスではありません

第142回
いつの間にか「物持ち」に…

最近は新しい家のことと引越しをどうするかが、
我が家の話題の中心になりがちです。
今度の家をどのように変えるか、
またその前にダンボール箱の手当てから始まって、
業者に頼むべきか否か、などなど。
実際は年が明けて2月に入ってからのことですが、
時間はあっという間に過ぎてしまうでしょう。

ということで家の中を改めて見渡してみました。

各種家具類。本や雑誌、CD。絵画。食器と調理器具。
テレビ、冷蔵庫などの家電製品。
洋服や靴も当初に比べれば冬物が加わった分増えました。
この5年間でいつの間にか
「物持ち」になっていたと改めて思いました。

ただ第135回で書きましたが、
ここでの生活はトランク4個からの始まりでした。
だから「物持ち」といっても、
あまり余分な物はないと思っています。
私の感覚からすれば、
東京の実家で祖父母の代からいろいろ仕舞い込んでいた
「物持ち」とは比べものにならないほど少ない。
普通の「物」が揃っているというくらい、だと思っています。

ところがオリヴィエは、
次ぎの家にはそこに合うものをまた揃えれば良いのだから、
今ある物にこだわる必要もない、と言います。
彼の流儀だと
「家具や照明器具も、ここを買う人が欲しいというなら
(買い手はこの家のインテリアも多いに気に入っています)
全部売ったっていいんだけど…引越しの手間も省けるし」
とさばさばしたもの。

彼は、我が家の壁を埋めている私の母とその先生の作品(墨絵)や
祖母の書は絶対に売らない。
他にもいくつかそういうものはありますが、
基本的に物に対する執着がほとんどありません。
彼は古い物に価値を見出すことが好きですが、
しばらく手元に置いてそのパワーを味わい尽くしたら
いつ手放しても良いとも言っています。

これはけっこう凄いわけです。
たとえば高価な物、気に入った物…
それはなんでも
一度持ったらそう簡単に手放せなくなるのではないでしょうか。

ずっと以前、ある人に
「形ある物はいつか滅する。だから執着しなさんな」
と教えられたことがあります。
確かにいつまでもあると思うから、
なくした時にたまらない消失感に襲われるのかもしれません。
でも初めからなくなることもある、と思っていれば
諦めもつけやすい?

というわけでオリヴィエほどさばさばとはいきませんが
(なかなか捨てられないたちなのです)、
引越しは身軽になる良い機会かもしれません。
どっちでも良い物はそれを生かせる所に寄付し、
本当に好きで必要な物だけ持っていこうと決心しています。


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2005年12月12日(月)

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