第84回
生命在脚下 希望在心中・6
月刊「むすび」誌の僕の連載コラム、
「運の呼び込む、希望の法則」に書いた
「帯津良一さん曰く
≪生命在脚下 希望在心中≫」の話の続きです。
*
というわけで、独自の≪攻めの養生≫論に触れている、
帯津医師の「あとがき」の部分を
少々紹介させていただきます。
この≪攻めの養生≫論が、
帯津さん流の≪自己実現≫の逆転発想の
クリティカル・シンキング(問題解決の鍵)だと思うからです。
「これまでの養生は、
身体が対象であった。
だから身体を労って、病を未然に防ぎ、
天寿をまっとうするといった、
やや消極的で守りの養生であった。
しかも、死を持って終われりである。
これからの養生はちがう。
日々、命の場のエネルギーを高めつづけ、
死ぬ日を最高にもっていくのだ。
積極的で≪攻めの養生≫*である。
しかも、死をもって終われりではない。
晩年になるほど加速していき、
猛烈なスピードで、
死後の世界に飛びこんでいくのだ。
なんとも爽快な養生ではないか」
なんとも強いパワーを感じませんか?
さらに、五木寛之さんが語る、
生老病死の悩みを突き抜けた
養生論の姿勢もこれまた凄いのです。
このあたりについて、
帯津先生がエンパシー(共鳴)していますので、
もう少し「あとがき」を引用させて貰います。
「だから、五木寛之さんがいうように、
明日死ぬとわかっていてもするのが、
養生なのである。
攻めの養生にとって、 上昇する速度は常に一定ではない。
ときどき、命の場が小爆発を起こして一気に駆け上がる。
これがベルクソンの命の躍動であり、心のときめきなのだ」と。
どうですか?帯津さんの
「人間は哀しくて寂しいものだと思えば
希望が湧いてくる」にしても、
五木さんの「明日死ぬとわかっていてもするのが養生だ」
にしても、心の奥にドスンと響く≪言葉≫だと思いませんか?
思わず、唸りました。
生命エネルギーの螺旋階段を
踏みしめるように登っていく姿に触れ、
言葉を聞く度に、
生きる希望が湧いてくるから読書は面白い。
人生は止められないのでしょう。
*
言葉は力なり――
心に残る言葉が≪縁≫を広げ≪運≫を呼び込むと思いませんか?
*帯津医師の唱える「攻めの養生法」の実践は7つ。
1.勤運動(運動にいそしむ) 2.練気功(気功を練習する)
3.節飲食(食事を節する) 4.暢情志(心をのびやかにする)
5.慎起居(正しい日常生活) 6.適環境(環境に適する)
7.補薬物(薬で補う)
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