ガンを切らずに10年延命-関根 進

再開!元週刊ポスト編集長の目からウロコの体験秘話!

第142回
自分に納得のいく「死生観」

帯津良一医師VS筆者の12ページ対談=
(月刊「むすび」誌3月号掲載)
「ときめく――生き方上手は逝き方上手」
帯津さんが明かしてくれた
“納得のいく死生観”の続きです。

               *

帯津 ところが、中国医学をやって
ホリスティックの考えになると、
命と命のぶつかり合いになりますから、
これは対等な立場で、
本当に対等な立場で一体化するということが始終行われて、
戦友のような感じになってくる。

同じ目標に向かってふたりで切磋琢磨していると、
亡くなるときには
そばにいてあげようと思ったもんですよ。
だから前の古い病院始めた頃は、
患者さんが亡くなる日は、
当直の医者がいても、夜でも必ずいました。
うちに帰らないでね。

彼あるいは彼女が、
行く時に見送ってやろうと。黙ってね。
そういうつもりだったから、
いつもご臨終のそばにいたんですよね。
そうしたら、これは手塚治虫さんも
どこかで書いてますが、
いい顔になるんですよ、死ぬとね。
死んでちょっとたつと、それが人によります。
病気とかその人の体力にもよるのかもしれないけど、
2〜3分ですっとやわらかい、
いい表情になる人もいるし。
小一時間くらいして初めてなる人もいる。

生きてる時はこんな顔してなかったよというくらい、
ほんとにいい顔をしているんです。
何かやっぱり“ふるさと”じゃないけど
志を果たしてふるさとに帰る、
帰る顔だと思ったんですよ。

それで虚空、あの世というのは
あるなと思うようになった。
そうすると夏目漱石の言うこともわかる。
哲学者の池田晶子さんの命は永遠だっていう話――
“池田は死ぬけど、自分は死なない”とか、
“池田というレッテルを貼った肉体は滅びても、
命は永遠なんだ”という言葉で
ことごとに書いていますよね。

それでね、何となくわたしも命は続くと。
ところが、死後の世界はわかりませんよね。
誰も行ったことがないのだから、
あるのないのっていったって、
信じるの、信じないのといったって
確かめようがないから、
あってもなくてもいいんじゃないかと、
とにかく死後の世界はあるとして、
その夏目漱石のようにずっと努力してって
ぽんと入っていけばいいかなって気がしています。


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2010年5月22日(土)

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