ガンを切らずに10年延命-関根 進

再開!元週刊ポスト編集長の目からウロコの体験秘話!

第143回
「おくりびと」の原作者との対談

帯津良一医師VS筆者の12ページ対談=
(月刊「むすび」誌3月号掲載)
「ときめく――生き方上手は逝き方上手」
帯津さんが明かしてくれた、
“納得のいく死生観”の続きです。

               *

帯津 そしたら、このあいだ、藤原新也さんが、
わたし、彼のことはよく知っていて、
彼の書いたものは好きなんですけど、
「メメント・モリ」なんていい本でしょう。

*メメントモリとは「死を想え」の意味。

こんど出した、
「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」という
長い題名の短編集があるんですよ。
その短編集について「週刊文春」に「著者は語る」という
1ページの欄があって、
そこに藤原新也さんが登場していて、
藤原新也さんは死のことは年中しゃべるけど、
死後の世界にはふれないんですよね。

青木新門さんもそうなんです。
新門さんは「納棺夫日記」(おくりびと)の原作者ですが、
この間あるところで対談したんですけど、
新門さんも、死後の世界のことは、
けっして言わないですね、
死のことはいっぱいしゃべるんですよ。
なんか二人は共通したとこがあって、
死後の世界があるとかないとかの問題は
超越しているのかなと思うんです。

その新也さんがこういうことを言ってるんです。
その著者との語りの中で、
永遠というのもきついんじゃないかな。
ていうんですね、永遠に生き続けるのも。
確かに、どっかで消えたほうが楽かもしれない。
きついんじゃないかなって。
「千の風になって」という歌があったでしょ、
あれをもじってね、
「死んでからも風になってそばにいられたんじゃ、
うっとおしいよな」って――。
これもひとつの考えだと思ってね。
人間のまじわりとは、
はかないからむしろそこに救いがあるってね、
新也さんは言ってるんです。

これもさすがだなと思って、
夏目漱石もさすがだし新也さんもさすがだし
両方使い分けりゃいいなと、
都合のいいところをときによって
言えばいいんですよね。
だからだいたい死後とか死については、
そういうふうに思ってきてるんですけど、
それでもその死の最後のクライマックスを
自分なりに後悔のないクライマックスにするためには
それまでの養生というのは
自分のいのちで養生を高め続けることが
必要だろうと思うんですね。

その養生の中に食もあるし気功もあるし、
こころの死生観もあると思うんですね。
それでそこにマクロビオティックもそこに存在するし、
というふうに考えればいいと思うんです。

               *

続きはまた明日。


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2010年5月23日(日)

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