ガンを切らずに10年延命-関根 進

再開!元週刊ポスト編集長の目からウロコの体験秘話!

第144回
死は「故郷」に帰ること

昨年秋、帯津良一先生と
月刊「むすび」誌の3月号の巻頭対談を
12ページに渡ってやりました。
「ときめく――生き方上手は逝き方上手」
というタイトルでした。

いわば、「主治医と患者」の
10年を超える数奇な付き合い方を
語り合ったこととなりますが、
終わりまで読んでいただくと、
死を恐れない「積極的なトキメキ養生法」=
「逆転の希望学」の極意が、
すっきりと分かる内容です。
きっと、勇気が湧きます。元気が出ます。
さらに、このコラムの一挙掲載を続けます。

               *

死がわかっても
するのが養生である

関根 先生は、虚空とは
「何千もの宇宙を抱いた偉大なる生命空間」
と定義されていますが、
死とは、そのふるさとのような空間に帰る――
ということですね。
ところで、さっき、五木寛之さんの話が出てきましたけど、
本で何度も紹介されていますが、
“死ぬとわかっていてもするのが養生である”――
これは、なかなかの名言だと思います。
死と養生の関係が如実に表わされていますよね。

凡人にはわからないっていっても、
やはり、死後の世界とか、
神様の世界はどうなっているのか、
いつも気になりながら生きている人は多いと思います。
「ポックリ名人」という本にも書いておられますが、
科学者である先生が
「私たちは大宇宙生命300億年の折り返し点にいるんだ」
といわれると、
「生命誕生の懐かしいふるさとに帰る」ような気分になって、
僕のような凡人もとても安心しますね。
神様といわれても、仏様といわれても、
講釈する人はたくさんいても、
あの世とか、死後の世界とかは見たわけじゃないですから
計り知れないわけですが、先生の死生観を伺っていると、
人生の「大きなものさし」を見せてくれるところがいいですね。
なにか、素直に元気や勇気が貰えます。

帯津 ご臨終のところでいい顔になる。
ふるさとへ帰るという、ふるさとはどこだろうなと思って、
うちの親父のまたその親父と数えていくとやっぱり、
ビッグバンまでいってしまうんですよね。
150億年前におこったとして、
片道150億年の循環の中にある折り返し点が死だ
というふうに思うと、これはまた、命の永遠性ってことですね。

それで私は死後の世界というものがこうあって、
そこを含めて命が循環していると思ったんですよね。
その“ふるさと”の“志を果たしていつの日か帰らん”というね。
“山は青きふるさと水は清き”、あの文句は非常にいいですね。
でも、最近は小学唱歌ではなくて井上靖さんの詩の中にある
「しっぽに旗を立てて故里(ふるさと)に帰った。
故里は白い砂塵の中に昏(く)れかけていた。」
というくだりが私の郷里の川越の町を
何となく思い出して気にいているんです。


続きはまた明日。


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2010年5月24日(月)

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