ガンを切らずに10年延命-関根 進

再開!元週刊ポスト編集長の目からウロコの体験秘話!

第147回
いまや「自分探し」の時代です

閑話休題。
もう1つ、最近、贈られてきた小説の紹介をしましょう。
「外ケ浜の男(角川学芸出版)」という長編小説です。

著者は、僕の後輩で、作家として活躍している田澤拓也さん。
田澤さんの小説や随想・評伝については
前に、このコラムでいくつか紹介したことがあります。
野球小説や山岳小説が得意ですが、
故郷・青森の著名人、たとえば、作家の太宰治、
詩人の寺山修司や名投手の太田幸司などを描く作品は
とてもよく出来ています。

さて、小説「外ヶ浜の男」ですが、
読み進んでいく内に、巧みに構成された、
著者の「自伝小説」「ルーツ小説」であることもわかりました。

著者の「分身」と思われる≪主人公・拓哉≫に、
亡き父が遺した「日記風テープ」の謎解きをしながら
青森県の津軽半島・外ケ浜に歴史を刻む
祖父母、両親、そして息子たちの昭和を綴る三代記。

著者から「これはわが家の伝記です」と
但し書きが同封されていたわけではありませんし、
本人に確かめたわけではありませんので、
確かなことはいえませんが、
地元の「東奥日報」(2009年01月)夕刊に連載された
「私の太宰 −その魅力−」という、
著者の連載エッセイを読み合わせて、
類推したてみたわけです。

               *

≪作家・太宰治が、津軽の地に生まれて今年で百年・・・。
父の仕事について青森県各地を転々としていた私たち一家が、
母の故郷でもある蟹田町(現外ヶ浜町)に腰を落ち着けたのは
一九五九年(昭和三四年)の秋のこと。(略)

この蟹田に住んだことが私の人生に
かなり大きな影響をもたらすことなった。
太宰治と出会ったからである。(略)

学校の裏手のハイカラ山や、
海辺の小高い丘である観瀾山が
私たちの最高の遊び場だった。(略)
この観瀾山の頂の先端に鉛色の石碑が立っている。
太宰治の文学碑で、「かれは、人を喜ばせるのが、
何よりも好きであった!」と刻まれている。≫

               *

この小説「外ヶ浜の男」も、
初出連載は「東奥日報」というだけあって、
エッセイに出てくる「蟹田町」「観瀾山」「太宰治」はもちろん、
舞台は、東風吹きすさぶ陸奥湾を超えて青森へ――、
そして荒波猛り狂う青函海峡を渡って函館、札幌へ――、
それぞれ世代の「青春のページ」をめくりながら、
一族の生活の場が広がっていく様子が
方言の面白さと共に、いきいきと描かれています。

田澤さんは、若いころから取材力の旺盛な人で、
その街や村に生息する人たちの描写が
軽妙にして、じつに上手い作家です。
僕はいくつかの作品を読みましたが、
そのたびに、まだ、行ったことのない、
津軽、下北、三沢や八甲田山――といった北国の街や村、
そして山道を、まるで旅する気分に誘(いざな)ってくれるので、
この著者の作品が好きになったのですが、
今回も「外ヶ浜」という、まだ「見ぬ国」を
時空を超えて「心の旅」をさせて貰ったこととなりました。

ちなみに、優れた小説って
「心の旅」を満喫させてくれるものなのでしょうね。
とくに、いま、社会も、伝統も、
そして家族までもが崩壊しつつあります。
「自分探し」の時代です。
もし、あなたが「家族のルーツ探し」に興味を抱いているとしたら、
ぜひ、田澤さんの新作を読んでみましょう。
懐かしく、心が温まります。


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2010年5月27日(木)

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