ガンを切らずに10年延命-関根 進

再開!元週刊ポスト編集長の目からウロコの体験秘話!

第175回
「惜福」「分福」そして「植福」

約100年前、幸田露伴は名著『努力論』
幸福になるための努力の必要性を説き、
「惜福(せきふく)」
「分福(ぶんぷく)」
「植福(しょくふく)」の「三福」の実践をすすめました。

●惜福=福を惜しみ、使い尽くしてしまわないこと。
●分福=幸福を他の人にも分かち合うこと。
●植福=子子孫孫、未来のために幸福の種をまくこと。

とくに、この三福の中でもっとも大切なのが
「植福」だと、以下のように
「幸福三説 第三」に説いています。

「有福(*福を持つこと)は、
羨むべからざるにあらず、
しかも福を有するというは、
放たれる箭(=矢)の天に向かって上る間の
状態の如きものであって、
力が尽きるときは落つるを免れざると均しく、
福を致したる所以(ゆえん)の力が尽きる時は
直ちに(ただちに)福を失うのである。

惜福(略) しかも福を惜むというは
炉中の炭火を妄りに(みだりに)
暴露せざるが如きものであって、
たといこれを惜むことを至極するにせよ
(*長持ちさせるならば)
新に炭を加うるあるにあらざれば、
別にその火勢火力の増殖する次第でもない。
(注・火力は大きくならないと同じことだ)

分福(略) 福を分かつというは
紅熟せる美果を人と共に食うが如きもので、
食い了(おわ)れば即ち空しいのである。

人悦び(=喜び)、我悦べ(=喜べ)ば、
その時において一応は
加減乗除が行われてしまった訳なのであって、
要は人の悦びを得たところが、
我のみの悦びを得たのに比して
優って居るに止まるのである。
(注・人が喜んでくれた分、自分だけで喜んだことよりマシだ)

続きは、また明日。


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2010年6月24日(木)

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