第184回
「寿命の調和ゲーム」を大いに楽しむ
帯津良一医師の近著
「生きるも死ぬもこれで十分」の紹介から、
あなたの「寿命」の持ち点をどう使うか?――
「生命体」とは、
機械部品のように割り切れるものではない――、
やっと、先進科学でも、
「生命体」=「エネルギーの調和活動体である」
と認められてきた――、という話の続きです。
西洋科学に従事する最先端の先生方は、
生命体の実相を、
東洋古来の「陰陽調和」と言わずに
「動的調和」と言い換えているにすぎないのでしょう。
僕のような患者から見れば、学会とは、
思わず、「ふふふッ」と笑いたくなるような
意固地な世界なのかも知れませんね。
ま、こうした学業専業的な論議はともあれ、
僕のような凡人凡夫の人生観・死生観とは、
「生命の調和ゲーム」、
いや「寿命の調和ゲーム」を大いに楽しむ――
こんな気分でよいと思っています。
帯津良一先生は、「適量のお酒」や
「かつ丼」にトキメクと書いておられますが(^0^)、
食事療法でも呼吸法でも整体運動法でも、
眉間にしわを寄せた修行ではなく、
「いのちの調和」を楽しむ「一日一メキ」の気分が
大切なのだと、つくづく思っています。
≪持ち点を使い切った自分、
つまり、死を基準とした自分がある。
そして、その死を立脚とした自分を
目標にして生きてゆく――。≫
この帯津さんの指摘が、
患者にとっての人生観、処世観の立脚点だ――
こんな気分で「寿命」を全うする・・・
こんな感じで過ごせたらよいなあと思っています。
僕は、昔から、とくに「寿命」、
そして、「死後世界」については、
「神のみぞ知る領域」と割り切っていますから、
シタリ顔であれこれと詮索する必要はないと思っています。
ま、「精一杯、生き尽くす」
「一日一回ときめく=一日一メキ」を目指して過ごす・・・
こんな自力游息の境地でよいなあと思っているわけです。
さて、帯津良一医師の近著
「生きるも死ぬもこれで十分」ですが、
科学者の立場を超えて、
哲学的・文学的にも優れた随想です。
≪まずは、持ち点を使い切った自分、
つまり、死を基準とした自分がある。
そして、その死を立脚とした自分を目標にして生きてゆく――。
そうすることで、
お釣りもなく持ち点を使い切ることができるのです。≫
まさに、ホリスティックに内容が深いだけでなく、
文章が軽妙にして洒脱です。
ぜひ、気楽に手に取ってみましょう。
読んだら、心が軽くなって、
日々が心ときめいてくることは
間違いありません。
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