第283回
「寿命」って書き換えることができるか(1)
僕の敬愛するホリスティック医学のホープ・
川嶋朗先生は「積極的な死生観」について
こう述べています。
≪ただ、人生を漠然と長生きしたいというのではなく、
「自分は社会や地球に対して何が出来るか」という
生きる意味をしっかりつかんで、死を考えておく――、
○○歳まで生きる、と
人生のエンドポイントを決めておけば(略)
QOL(Quality of Life)が上がり、
人生の満足度も上がる≫と。
また、僕の主治医で、ホリスティック医学の草分けである
帯津良一先生は次のように述べておられます。
≪(誰にでもある寿命の)持ち点を使い切った自分、
つまり、死を基準とした自分がある。
そして、その死を立脚とした自分を目標にして生きてゆく≫
≪「思い切り、あなたの≪寿命の持ち点」を使おう!≫と。
さて、患者にとって「生きるか死ぬか」は、
ほんとうに深刻な問題ですが、
僕自身、「ガンを切らずに12年」の幸運を頂いたものの、
絶えずガンの再発・転移について
恐怖を抱いてきたことも確かです。
さらに、70歳を過ぎて、
ガンのみならず、椎間板ヘルニア、
頸椎ヘルニアなどの持病による老化現象も甚だしくなり、
以前より、我が死生観――、
自らの「死」について身にしみて
しみじみと考えるようになりました。
ま、僕も、川嶋医師や帯津医師の
積極的な死生観というものは
頭では理解しているつもりですが、
人間って、ほんとうにだらしのない
生き物であることも確かです。
うまく、与えられた寿命を
書き換えることが出来ないかなあ――
ついつい、なんとしても
楽な生き方を探り求めている――、
そんな自分に気がつくことがあります。
(次回に続きます)
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