ガンを切らずに10年延命-関根 進

再開!元週刊ポスト編集長の目からウロコの体験秘話!

第284回
「寿命」って書き換えることができるか(2)

≪ただ、人生を漠然と長生きしたいというのではなく、
「自分は社会や地球に対して何が出来るか」という
生きる意味をしっかりつかんで、死を考えておく――、
○○歳まで生きる、と
人生のエンドポイントを決めておけば(略)
QOL(Quality of Life)が上がり、
人生の満足度も上がる≫
(川嶋朗・東京女子医大附属
青山自然医療研究所クリニック所長)

≪(誰にでもある寿命の)持ち点を使い切った自分、
つまり、死を基準とした自分がある。
そして、その死を立脚とした自分を目標にして生きてゆく≫
≪「思い切り、あなたの≪寿命の持ち点」を使おう!≫
(帯津良一・帯津三敬病院名誉院長、
日本ホリスティック医学協会会長)

僕の敬愛する先生方による、
「積極的な死生観」については、
頭で分かっていても、
イザ眼前の死の恐怖に見舞われると、
人間って愚かなもので、ウロウロとうろたえたり、
なんとか楽に生きながらえることが出来ないかと、
浅知恵をまわすものだ――という話の続きです。

前に、このコラムで、
僕が「不老長生の仙人を求めた、中国の道教」に興味を持ち、
そのパワフルな死生観について書いたことがあります。
もちろん、200歳、500歳も生きる
仙人になどなれるわけはなく、
その結論が「半仙人のように生きたいなあ」
という養生人生観でしたが、
死生観についてもちょっと道教からヒントがもらえて
気が楽になったことを覚えています。

道教の仙人観って、
生きる人間にとても都合よく出来ているところあって、
これも前に書いたことがありますが、
人間の体内には、「三尸(さんし)の虫」が巣食っており、
死を司どる天帝に、その人の悪事を報告して
「寿命」を書き変えさせてしまう――、だから、
長生秘薬や養生法でこの「虫」を退治するのが、
仙人道の近道だというわけです。

なんとなく、ほほえましい、人間臭い死生観であり、
エピソードだと思いませんか?
僕は、高僧や賢人のように、
高尚な死生観に、どうしてもついていけない時、
この「三尸の虫」を手名付けてやれば、
なんとかまた「幸福の道」が開けるだろう――、
そんな浅知恵を思いめぐらして、
ふふふっと笑ったりするようになりました。

もちろん、寿命を延ばすどころか、
したたかな「三尸の虫」の反撃にあって、
こちらの寿命を縮められてしまうのが
「オチ」かもしれませんが、
そのときが、この世の僕の役割も終わり――
天命とでも考えればいいかな?
そんな風に気楽に考える年格好となりました。
あまり深刻に「死」を考えなくて
よくなったことだけは有難いことでした。

さ、あなたも、自らの死生観を問われたことが
何度も会ったはずです。
そのとき、あなたは、どう考え、
どう対処できたでしょうか?


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2010年10月11日(月)

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