誰が日本をダメにした?
フリージャーナリストの嶋中労さんの「オトナとはかくあるべし論」

第15回
大人の健康法

近頃、頑固一徹というおじいさんを
とんと見かけなくなった。
巣鴨のとげぬき地蔵尊にでも行けば、
佃煮にするくらい年寄りがいるが、
ふだんの生活の中では年寄りと接触する機会はほとんどない。
大家族が核分裂する前までは、
どの家にも年寄りがいて、それなりに大事にされていた。
「家に年寄り、屋敷に大木」などといって、
経験を積み重ねた年寄りの知恵は、
ずいぶん重宝がられていたのである。
頑固な年寄りがはびこっていたのは
そんな古き良き時代の話だ。

しかし核家族時代の今、
「年寄りと仏壇は置き所がない」などといわれ、
年寄りは厄介者扱いされるようになった。
親孝行は美徳ではなくなったのである。
こうした時代には頑固な年寄りは自然淘汰され、
その代わり、やたら若者に理解を示す新種の年寄りが増えてきた。
これも悲しい保身のためか、
若者たちにおべっかをつかう
妙に物わかりのいい年寄りがはびこってきたのである。

物わかりがいいのは年寄りばかりではない。
なべて大人たちは人柄もまるく、あまり怒らず、
あくせくせず、合理的にスイスイと生きるようになった。
ムキになるのははしたないとされ、
スマートに身を処することが
進歩的でカッコいいとされるようになった。
だから、「最近の若い者は……」などという
人類創世以来繰り返してきた若者批判は間違っても口にしない。
あの言葉を口にすることは
老人クラブへの仲間入りを意味するというので、
つとめて避けるようになったのである。

私などは「最近の若い者は……」を
日に百遍口にしないと便通が悪くなるほどだ。
老人に見られようが、野暮といわれようが、
そんなことは知ったことではない。
物の本によると、
「最近の若い者は……」という繰り言は
ソクラテスの時代は言うにおよばず、
古代エジプトのパピルスにも記されているという。
つまり何千年も繰り返されてきた
手垢まみれの言葉なのである。
であるならば、もうやめとくか? 
そうではないだろう。
大人たちが若者批判をするからこそ
若者たちはそれに反発することで自我を鍛え、
新たな価値の創造に向かうのである。
若者批判は大人たちの果たすべき責務であり、
精神の健康法なのだ。
若者に笑顔ですり寄る大人たちは、
その責務を忘れ、ついには侮りの対象となり果てるだろう。


←前回記事へ 2005年5月27日(金) 次回記事へ→
過去記事へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ