誰が日本をダメにした?
フリージャーナリストの嶋中労さんの「オトナとはかくあるべし論」

第23回
父性愛は上等なもの

私は拙著『おやじの世直し』の中で、
便器の中にウンコ付きの布オムツを放り込み、
手でゴシゴシ洗うところから父性愛が芽生えてくる、
と書いたことがある。
紙オムツが当たり前の時代になった今、
それじゃあ父性愛の発露をいったいどこに求めたらいいのだ、
という話にもなりそうだが、
なにもウンコ付きオムツばかりが愛の原点というわけではない。

世の父親たちの中には、
生きている時間のほとんどを会社に捧げ、
家には寝に帰るだけという、
いわゆる“夜の訪問者”タイプの男がいる。
この手の男が突然家に居ついたりすると、
いつもと勝手が違うのか、今度は女房がイライラしたりする。
この軽い神経症を「夫の在宅症候群」と呼ぶのだそうだ。
会社に居つけば怒られ、家に居つけば煙たがられる。
男の立つ瀬がないというものだが、
そんな不幸を招いたのも、
日本の男たちが
あまりに会社だ仕事だと言いすぎたためであろう。

父親がどれくらい家庭に関心を持っているかを計る尺度がある。
娘や息子の友だちの名を5人以上挙げられるかどうか、である。
私は保育園時代の友だちの名前は全員挙げられるし、
親たちの名前も顔も知っている。
長女の友だちなどはみな成人式を迎え、
すっかり大人びてしまったが、
「おい、ミユキちゃん」などと声をかけてやると、
その顔に保育園時代の
あの小さかったころの面影がかすかによぎったりする。

サオリもユミもカヨも、みんな大きくなった。
待たぬ月日は経ちやすいというが、
娘の友だちの成長ぶりを見るにつけ、
(俺も年をとった……)の感を深くする。
若い時分は子供という生き物がきらいだった。
少しも可愛いとは思わなかった。
しかし自分が親となり、ウンコ付きのオムツを洗い、
飯を食わせ、一緒に遊んでやっているうちに、
わが子だけでなく他人の子も自然と可愛いと思えるようになった。
そして父性愛なるものは、
母性愛などよりよほど上等なものではなかろうか、
と思うようになった。
娘の友だちは今も、
顔を合わせれば「こんにちは!」と元気よく挨拶してくれる。
みんないい子だ。
もっとも、挨拶を欠かすとこの凶暴なおやじに怒鳴られる、
と半分怯えているためではあるのだが……。


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