誰が日本をダメにした?
フリージャーナリストの嶋中労さんの「オトナとはかくあるべし論」

第22回
家事も育児も面白い

のっぴきならない事情で会社を辞め、フリーになった。
フリーとは「不自由な」と訳すのが正解だそうで、
妻を働きに出す代わりに私が家庭に入り、
家事育児にしばられるという不自由な身となった。
世間でいう“主夫”というやつだが、
身過ぎ世過ぎでわずかにライターのアルバイトもしていたから、
正確には“兼業主夫”と呼ぶべきかも知れぬ。

専業主婦という言葉は
1970年代以降にできた言葉で、
戦前までは日本人の七割は農民であった。
が、60年代から70年代にかけて高度経済成長時代を迎えると、
農家や商家が減り、サラリーマンが増えてきた。
若い女性たちは短大や女子大を出て、数年働いた後、
サラリーマンと結婚して専業主婦になる。
主婦の理想は玄関脇に洋式応接間のあるような家であった。

夫は会社、妻は家庭、という分業制が確立すると、
夫は魂まで会社に売りわたし、
だんだん家庭を顧みなくなった。
そしてついに「フロ、メシ、ネル」の三言で用を足す
超省エネの“ものぐさ太郎”を生むに至るのである。
世間はこうした夫を「三言亭主」と呼んだ。

今どき、三言亭主がいるとしたら、
よほど金持ちの暴君か、怖いもの知らずかのどっちかだろう。
しかし「俺は男なんだから、台所仕事なんかやらない」
とあくまで男の沽券を守ろうとするのであれば、
少しばかりアナクロだが、賛成しないわけではない。
いわゆる「三じのあなた」(家事、育児、掃除をする夫)には
金輪際なりたくないという骨っぽい男だからで、
これはこれでひとつの見識かな、と思うのだ。

ただし、こうした発言も
共稼ぎ夫婦の場合はふさわしくないだろう。
稼ぎが半分半分なら、家事育児も半分ずつやるべきで、
もちろん保育園の送り迎えだって半分ずつにする。
老婆心ながら、
家事育児にどっぷり浸かってきた身からいわせてもらうと、
この世界、男の食わずぎらいも多少はあるような気がする。
料理を作ったり、子供に絵本を読み聞かせたり、
床をピカピカに磨き上げたりすることは、
これでけっこう奥が深く面白いのだ。
少なくとも薄っぺらな会社人間になるよりは数段マシだろう、
と半分女になった私はひそかに思うのである。


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