誰が日本をダメにした?
フリージャーナリストの嶋中労さんの「オトナとはかくあるべし論」

第36回
露出オーバーの女たち (その二)

テニスはやるほうはからっきしだが、
観戦するのはきらいではない。
特にマリア・シャラポワとかダニエラ・ハンチュコワといった
美少女プレーヤーが出るとなると、
家人の非難がましい視線も何のその、テレビ画面に釘づけとなる。
見ているうちに深夜のお色気番組を見ているような、
なんとも危ない気分になってくるのが玉にキズなのだが、
(これは純粋なスポーツ対決なのだ。
 泥んこプロレスの類とは違うのだ)
と自分に言い聞かせ励ましながら見入ることになる。

「テニスをするのに、どうして胸を大きくあける必要があるのよ。
 私、ああいうの、きらい!」 
女房はシャラポワの可愛い胸が揺れるたびに不機嫌になっていく。

フックスの『風俗の歴史』を読むと、
ヨーロッパの中世末期からルネサンスにかけて、
胸の部分に窓を開けた
お乳まる出しのドレスがお目見えしたとある。
もっとも男のほうとて、未開民族のペニスケースみたいに
股引の股のところに大きな袋をぶら下げ、
これ見よがしにその威を誇ったというから、
見せたがり屋に関してはどっちもどっちだろう。

シャラポワみたいに胸の谷間がチラと見えるのは歓迎するが、
あんまり露骨に見せられると逆に興ざめする。
何年か前にドイツの北は北海の浜辺で、
夕暮れ時、金髪美女たちが素っ裸で
はしゃぎ回っている様を見たことがあるが、
勃然ともよおすどころか、海辺の一点景としか見えなかった。
秘するが花なのかも知れない。

西欧の女たちは、
顔をヒジャブで隠し、全身黒づくめのアラブの女たちを
「遅れてる」と勝手に憐れんでいるようだが、
なに、アラブの女から見れば、
Tバックとビキニの女が「進んでる」とは到底思えないだろう。
むしろ彼我の賢愚を測るなら、
肌の露出度と知性の深浅は反比例すると心得たほうがよろしい。

世の中よくしたもので、賢い女は肌を隠したがり、
少し足りない女は肌身をさらしたがる。
無いものねだりかもしれないが、
どこかに「露出狂でなおかつ賢い女」
というような掘り出し物はないものだろうか。
もしもそんな珍品があったなら、内容見本にそっとふれ、
匂いを嗅いでみたいのだが……。


←前回記事へ 2005年6月27日(月) 次回記事へ→
過去記事へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ