誰が日本をダメにした?
フリージャーナリストの嶋中労さんの「オトナとはかくあるべし論」

第65回
教育と教養

「福澤心訓」というのをご存じか。
福澤諭吉が唱えたという七訓七則で、
その中に《世の中で一番みじめなことは教養のないことです》
とする一条がある。
死んだ父はこの言葉が好きだった。
が、今にして思うと
「教養」と「教育」の意をはき違えていたようだ。
父は私を前に、よくこんなふうに教え諭した。

「父さんは学校に行きたくとも貧しくて行けなかった。
 だから、辞書を読んで言葉を覚えたんだ
 ……しっかり勉強しろよ。
 父さんの分までしっかり勉強するんだ」

まるで二宮金次郎が乗り移ったかのような説教だが、
私はどうもいい加減に聞き流していたような気がする。
この心訓、父のお気に入りではあったが、
実は後世の偽作らしく、
慶應義塾図書館の公式サイトにもそのことがふれてある。
贋作にしてはよくできていて、
トイレの壁に額入りの心訓を麗々しく掲げ、
やたらとありがたがっている旅館もあった。
下痢ぎみの糞を垂れながら、
「世の中で一番みじめなことは……」と朗唱している図は、
なかなか風流なものだ。

正直に言おう。
私は教養のない人間がきらいだ。
こういうと「なにを偉そうに」
とすぐ反発するおっちょこちょいがいるが、
私はなにも教育のあるなしを言っているのではない。
一流大学を出ても教養のない人間はごまんといるし、
学問などなくても匂い立つような教養を身につけている人もいる。
要は学歴などどうでもいいのだ。

私は子供のころから本好きで、
小学生にしてすでに
吉行淳之介の『砂の上の植物群』
愛読するほどにマセていたが、
単なる本の虫とは違う。
本の世界は神経症を病んだ私の唯一の逃避場所だった。
生身の人間に師や友を求められなかった私は、
書物の中の彼らと親しく語らった。
「健康な人間は本を読まない」と夏彦翁はいったものだが、
いったん本の世界の豊饒さを知ってしまうと、
不健康に生まれついて本当によかったと思う。

若者の間では、本好きは「ネクラ」としてきらわれるのだという。
そのため、みなノーテンキな「ネアカ」を装い、
深刻な話題は避け、バカ話に終始するという。
愚かな話だ。
本を読まない彼らは、信じがたいほどにものを知らない。
ボキャ貧ゆえに、深くものを考えられず、表現もできない。
最高学府に学ぶ者にしてこうなのだ。
ネアカなど、私はバカの異名くらいにしか思っていない。


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