誰が日本をダメにした?
フリージャーナリストの嶋中労さんの「オトナとはかくあるべし論」

第75回
血液型はC型です

時候の挨拶をするみたいに
「血液型は何型ですか?」と訊かれることがある。
相手に悪気などなく、単に話の接ぎ穂がほしいだけだとしても、
初対面の人間に血液型を尋ねること自体、
考えてみれば異様なことで、失礼千万な話といえなくもない。

星占いだとか血液型占いを信じてはいけないという法はない。
現に私だって、信じちゃいないが、
たまたま雑誌の占いのページが目に入れば、
都合のいいところだけつまみ食いすることはある。
その程度のお遊び気分でいいのだ。
私は神経質で几帳面とされるA型なのだが、
この国ではA型ですと打ち明けて得をしたという話をまず聞かない。
相手は「A型には見えませんがね」
などと気の毒そうな顔をして慰めてくれる。

私は神経質なネクラ人間で、
その意味では大当たりといってもいい。
もっとも周囲の者は
「無神経で、いけ図々しい、ノーテンキな男」
などと理解しているふしもあるので、
こればかりはアタリともハズレともいえない。
それに私は、神経質でネクラな資質を、
気に病むほどの短所だとは少しも思っていない。
むしろ物事を深く考えようとする
(実際は何も考えてないが……)、
聡明で重厚な資質ではなかろうかと、勝手に思い込んでいる。
何度でもいう。
「ネアカ」などバカの異名にすぎない。

それにしてもABOの血液型だけで
人間をやれネアカだネクラだとタイプ分けできたら、
こんな楽なことはない。
シェイクスピアやドストエフスキーの作品に出てくるような、
底知れぬ複雑な精神の持ち主も、
「B型人間のやりそうなことよね」
の一言で片づけられたら立つ瀬があるまい。
これでは小説の成り立ちようがない。

一人の人間には几帳面なところも無神経なところも、
場合によっては二重人格的なところも備わっている。
それがふつうの人間の在りようというものだが、
近頃の人間は、ハナから相手を深く知ろうとせず、
勝手に人間を類型化して済ませている。
相手とじっくりつき合おうとしないのだ。
この手の未成熟な人間は、
池波正太郎の『剣客商売』でも読んで、
少しは人間観察に磨きをかけたほうがいい。
池波ファンにはお馴染みの
「御用聞きの弥七」も言っているではないか。

《人間というものは、
 辻褄の合わねえ生きものでございますから……》と。


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