誰が日本をダメにした?
フリージャーナリストの嶋中労さんの「オトナとはかくあるべし論」

第99回
美しい女

居酒屋で独り飲んでいたら、
隣の客が亭主相手に
あの女がいい、この女がいい
と盛んに言いつのるものだから、
どんないい女がいるのかと、聞くともなく聞いていると、
どうやら小説の中の話らしい。
すでに還暦をすぎたとおぼしき客は、
だいぶ出来上がっているようすで、
「昔(江戸時代のことだが)の女は控えめで慎みがあった。
 それにひきかえ、近頃の女どもときたら……」
と、まるで講釈師みたいに見てきたようなことを言っている。
話の中に
「涌井の女将」とか「女忍者の佐知」という名が出てきたから、
私は「ハハン、このお父さんも藤沢周平のファンなんだな」
と思わずにんまりしてしまった。 

このお父さんの嘆きはよくわかる。
きっと飲まずにはいられないのだろう。
街を歩けば、娼婦さながらの格好をした女子高生や
傍若無人なオバタリアン、
おしゃぶりみたいにケータイが手放せず、
のべつメール打ちにうつつを抜かしているOLたち……。
見るもの聞くもの、お父さんの過敏な神経に障るものばかりだ。
お父さんはきっとこう反問しているにちがいない。
(涌井の女将や嗅ぎ足組の佐知は
 いったいどこに行ってしまったのか。
 そう遠くない昔にいたという、
 あの美しくしつけられた女たちは、
 いったいどこへ行ってしまったのだ……)

家に帰っても、息子の嫁は礼儀をわきまえず、
ほとんど口もきいてくれない。
『三屋清左衛門残日録』に出てくる息子の嫁里江であれば、
口やかましいけれど心根はやさしい。
涌井の女将ともなれば、
《物言いも立ち居もごく控え目で、
 その美は内側からにじみだしてくる》(『残日録』)
というのに……嗚呼! 
こんなお父さんを前に、
もしも『蝉しぐれ』の「ふく」の名を出したりしたら、
感極まって泣き伏してしまうかも知れない。
それほどに藤沢ワールドには“いい女”が詰まっている。

所詮小説の世界の話さ、と君は笑うか? 
それは認識不足というものだ。
山川菊栄の『武家の女性』
杉本鉞子の『武士の娘』を読めば、
日本にはかつて、逆境にあっても凛とおのれを持し、
立ち居振る舞いの美しい女たちがいたことがわかる。
たった五世代前までは、
藤沢の描いたような魅力的な女性が、
この国にたしかに存在したのである。
お父さんが胸をかきむしらんばかりに郷愁にかられてしまうのは、
至極もっともなことなのだ。
嗚呼、無惨なり歳月!


←前回記事へ 2005年9月22日(木) 次回記事へ→
過去記事へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ