「骨董ハンター南方見聞録」の島津法樹さんの
道楽と趣味をかねた骨董蒐集の手のうち

第4回
入門編(4)
有意義な骨董

骨董ぐらい楽しいものはない。
ある著名な精神科のドクターが
右手で鼈甲のメガネの縁を持ち上げながら
「キミ、何故コレクターはこんな古いものを集めるのかわかるかね。」
と僕に尋ねことがある。
「さあ、どうしてでしょうか。きれいだからですか。」
と答えたら
「この汚れた土の付いた焼き物が美しいかね。」
と言われた。
そういわれてつくづくとその土器を眺めると
あまり美しいとは言えなかった。

「因果なものでね。
 子供が色ガラスの破片を拾って喜ぶのと同じように
 古いものを見るとどうしても集めたくなるんだよ。
 ある意味コレクターが物を集めるのは子供がえり現象なんだよ。」
そんな風に言われたので買ってくれないのかなと思い、
売り込みに行った土器を引っ込めようかと手の伸ばしたところ、
ドクターは
「置いていってください。」
と言って、バンチェンの壷を二十万で買ってもらったことがあった。
手渡した壷は赤く焼き締まった美しい肌をしているが、
知らない人が見ればただの土くれのようなものだ。
しかしドクターは上から見たり横から見たりして
「うーん。」とうなっている。
「君、ここのこの皹、これを見たまえ。
 この割れ方がなんとも言えんな。」
と言って本来なら欠点となるべきところをいたく気に入ったようだ。

「先生、中々いいですね。」とつい一言添えると
「君もこのごろよう勉強しとるね。
 その辺のところがわかるようになったか。」
と褒めてくれた。
この手の話は骨董世界では日常的なことである。
自分の感情を作品に移し
あばたも笑窪、欠点も美しい景色として取り上げる。
そんな時コレクターは至福の世界に浸っているのだろう。
このドクターの毎日は本当に忙しく
自ら患者に接し身も心もボロボロになっている。
そんなドクターの心に充実したエネルギーを注入するのが
骨董なのだ。

またある大企業のオーナーにこんなことを聞いたことがある。
「子供がおもちゃの車をブーブーと言いながら走らせているのは、
 自分がドライバーとして運転しているつもりで
 ストレスを発散させているのだと。
 まあ骨董の遊びとはこれに似たようなものだね。
 子供にとっておもちゃがない世界が考えられないのと同じように、
 僕にとって骨董がなければ
 こんなむなしい仕事はやっておれんわね。きみ。」
昔から人それぞれのいき方があるが
北宋の徽宗が骨董を愛玩したように
大昔からある種の人々は人生を楽しむ為骨董を愛好したのだ。
サルは美味しいものを良く知っている。
魅力的なメスもよく認識できる。
でも骨董は絶対にわからない。
骨董ビジネスは神様が人間だけに与えてくれたすばらしい世界だ。


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