「君は、"大東亜経済論"の試験にどうしてあんな答案を書いたりするんだ」
私は見る見る顔面蒼白になった。
「書くということは喋ることよりもっと悪い。いまは自分が本当にそうだと思っていることでも、喋ったり書いたりすれば身に危険が及ぶ。このあいだ、憲兵隊につかまったばかりじゃないか。あんな目にあわされてもまだ懲りないのか!」
私の目から涙が溢れてきた。あわててハンカチをとり出しても溢れる涙をどうしようもなかった。いま先生は僕を助けようと思って僕を叱っているのだ。憲兵隊の時も下宿に帰ってからすぐ先生の家まで挨拶に行った。先生は
「無事でよかったなあ。憲兵隊の取調べは一週間単位だから、何もなければ、一週間で帰してもらえるはずだ。もし一週間たっても戻って来ないようなら、塚本大佐に頼みに行くつもりだった。でもいい経験をした。壁に耳ありだから、今後は言論を慎むように」
と私をさとされたばかりだった。
私がしゃくり上げているのを見ると、先生はさすがに可哀そうだと思ったのか、
「本当は君が悪いんじゃない。安平君が不用意だったんだ。でも、君は一応、安平君のところへ謝りに行って来い。もう二度と信用のおけない奴に本心を打ち明けたりするな」
先生はそうおっしゃったけれども、そのとおりにやったら、世の中に打ち明ける人が一人もいなくなってしまう。人を信用しないで、どうやって生きて行けというのだろうか。そんな思いも手伝って、私はしゃくり上げながら先生の部屋を出た。その足ですぐ安平助教授の部屋を訪れた。
私が「ご迷惑をかけて申し訳ありませんでした」と言って謝ると、助教授は椅子から立ち上がって、「僕のほうが悪かったんです。許して下さい」と私に向かって最敬礼をした。
謝られたからといって私の気がすむわけではなかった。また私が謝ったからといって、私の悪い思想がなおるわけでもなかった。いってみれば、これは植民地に被支配者として生まれた者の宿命のようなものであった。
すでに日本の旗色はかなり悪くなっていた。大本営の発表は相変らず強気で、自分らに有利な情報しか流していなかったが、ラバウルで孤立し、インバールで挫折し、その上、サイパン島に米軍が上陸を敢行し、やがて日本軍の玉砕が発表された。もう勝負はついたようなものであった。
私はただの一学生にすぎなかったけれども、私の耳は地獄耳だった。時の侍従長の息子がクラスにいて、宮中での会議の模様を逐一私に喋ってくれていた。新聞で発表されていることと重臣たちの動きはちょうど裏腹だった。私は大本営発表よりも、宮中の消息を信じていたので、世の中の動きを人より早く感知することができた。
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