人生を楽しみ、豊かにすごすために

第24回
お金は使うものと見栄を張るのがお金持ち

初対面の人に、
「お住まいはどちらですか?」と聞くのは、
日本では社交辞令みたいなもので、
それ以外の意味はないと思いますが、
香港では、どこに住んでいるかを聞くことにより、
その人が「どの程度金を持っているか?」を判断します。
狭い香港では、どの場所のどのマンションに住んでいるかで
物件の金額がすぐ頭に浮かんで来るのです。
また、相手から、じろじろよく見られるのが「時計」です。
これもどの程度の時計をしているかで
相手を値踏みする必要があるからです。
私はいつも、偽物の最高級ブランド時計をしていたので、
彼らが私をどの様に値踏みしていたかは不明ですが。

香港一の大金持ちである有名な「李嘉誠」氏も、
最初は中国から香港に逃げてきて、
最初はリアカー引きから立身出世した人なので、
いい家庭に育ったわけでもなく・
いい大学を出たわけでもなく・大企業に勤めたわけでもない
ゼロから這い上がった人なのです。
華僑社会は誰もが、中国から何らかの理由で
着の身着のままで逃げ出して移民した人達なので、
そうした歴史のない社会・
中国の外でゼロから始まった社会であるからこそ、
成功者を計るのに「お金があるかどうか」という
単純明快な尺度だけなのではないかと感じています。

華僑社会も2代目・3代目・4代目の社会になるにつれ、
有名財閥の子息とか欧米の有名大学卒など、
社会的に評価される
多様な価値観が生まれつつあることも事実ですが、
基本的には「お金持ち=成功者=社会的地位が高い」構造に
大きな変化はありません。
従って、お金持ちは、「お金のある事」を
第3者にプレゼンテーションする必要がありますから、
お金持ちは
「高級な場所に家(マンション)を持ち、
運転手つきのベンツに乗り、最高級の時計・装飾品を身につけ、
最高級の社交クラブに入り、クルーザーを持ち、
最高級のレストランで飲食をする」
生活をする必要があるのです。
ですから、ケチケチした生活をする人は
お金があっても「貧乏人」としか見られないことになります。
「質素=美徳」という日本人古来の美意識は
華僑には通用しないようです。


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2007年1月12日(金)

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