人生を楽しみ、豊かにすごすために

第95回
広東語と中国語ができるようになったのは?

銀行勤務時代の90年代に
合計で10年弱香港と台湾に駐在しました。

外国に住む場合、
その土地の言葉を勉強しようというのが基本的な考えですので、
フィリピンに住んだときに英語を、
メキシコに住んだときにスペイン語、
そして香港・台湾で広東語・中国語をマスターしました。

スペイン語は今となっては
ほとんど使う機会がなくなってしまっていますが、
アジアで仕事をする場合、英語・中国語ができれば、
ほとんどの国でビジネスには困りません。

語学は身を助けるではありませんが、
語学をマスターしておいてよかったと感じています。

銀行員としての香港駐在でしたから、残業も多く、
会社が終わってから語学学校に行くような時間的余裕は
とてもありませんでした。

そこで実践したのは、
朝7時半から1時間半の早朝語学レッスンです。
同僚の数人でお金をシェアして
広東語の家庭教師に週3回会社に来てもらうことにして、
勉強しました。

早朝にアポが入ることはまずありませんから、
出張が入る時以外は継続して勉強できます。
早く起きなければなりませんから、
前日も結果的に節制をする生活になります。

広東語は、同じ音でも9つ声調があり、
困難を極めると言いますが、
私の先生はこれを5つの声調にして教えていました。

正式な広東語の教授方法が確立されているわけではないので、
先生の独自メソッドでしたが、
広東語を街で使っている香港だからこそ、
実践で試すことができます。

でも、実際にそこそこ使えるようになるには
3年の歳月が必要でした。

広東語ができる日本人は珍しいので、
広東省の広州に出張したときなどは、
お客さんと広東語を話すとかなりインパクトがあったのも事実です。

香港を離れてから広東語をしゃべる機会がほとんどなくなったので、
広東語はさび付いてしまいましたが、
たまに広州に行くとは、広東語を使っています。

中国語(普通話)は、台湾で実践を通してマスターしました。
香港時代と同じように、
毎朝家庭教師に来てもらって勉強したのですが、
広東語と違って普通話は、
簡単でそれこそ半年でかなりしゃべれるようになりました。

職場では日本人が私一人だったので、
同僚とも普通話で会話するしか選択肢が無く、
取引先でも使わなければならないので、
短期間で上手になったのだと思います。

語学は、習うより慣れろ。
現地に行って、実践するのが一番ですね。

でも、50歳を過ぎると記憶力が本当に衰えているのを感じます。
もう新しい言葉を勉強するのは諦めています。


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2007年7月18日(水)

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