時代の美意識

第34回
宇宙を思うとき

宇宙というものを意識したのは小学生の頃のこと。
題名は覚えていませんが、
SF映画を観たときが最初だったと思います。

その映画の主人公は、地球を守るために犠牲となり、
暗い宇宙の彼方へ消え去っていきます。
主人公が宇宙の藻屑となって
真っ暗な空間を漂い流れていくような
終わり方だったと思うのですが、
宇宙は果てしないということを、そのときに知りました。
果てがない、行き着く先がない。
「ない」ってどういうこと?と考え出したら、
とにかくものすごく怖くなってしまったことを覚えています。

無限とは限度がないこと。
限度がないということについて考えていくと、
ある時点から先に思考を広げていくことができなくなっていきます。
人間の想像など寄せ付けない宇宙のすごさと怖さ。
その宇宙では、地球も数ある夥しい星のひとつでしかありません。

宇宙からすれば地球も、そこに住む人間も、
針の穴ほどもない小さな小さな存在でしかないのです。
宇宙の中のひとつの素材にすらなっていない、
砂粒ほどの存在感もない地球。

私たちは、その地球で生まれ、集合体として生き、
そして死んでいきます。
生まれて死んでいくという命のサイクルは
とても崇高なものだけれど、
宇宙という大きな視点で考えると、
果たして人間はどういう存在なのかと思ってしまいます。

夜空に輝く星も何億年も前の明かり。
実際にこの目で見ている星の輝きが、
気の遠くなるような時間を経て在るものだと思う。

宇宙はやっぱり大きいな、
時折り、そんなことを考えては
「ちっぽけなことに思い煩うのはやめよう!」
という気持ちになります。
「心をオープンにして、星を見ながら赤ワインでも飲もう!」
という気になります。

宇宙から相対的に自分を見てみると、
悩みが悩みでなくなっていくから不思議です。


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2009年9月3日(木)

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