中国古陶磁器 そのロマンを求めて-天青庵

単なる美術品ではございません

第36回
逃げまどう、故宮宝物

日本軍の侵攻から逃れる為に、
北京を後にし上海に疎開した故宮宝物でしたが、
しばらく上海の倉庫に眠ったままになります。

1936年、ようやく本来の避難先であった南京市に
専用の保管施設が完成し、
またまた二万箱もの故宮宝物は
南京までの大移動を強いられます。

南京に辿り着き、
ようやく落ち着いたと思った故宮宝物でしたが、
1937年北京で盧溝橋事件が勃発、
本格的な日中戦争の開戦、
日本軍の上海侵攻で南京も危うくなり、
再度の避難が決定されます。

そこからが、本当の意味で故宮宝物の流転の旅が始まるのです。
故宮宝物は、
陸送と海送に分けられ、
戦禍から逃げまどいながら
長沙省、貴州省、四川省、陝西省、湖北省などを
あっちからこっちこっちからあっちへと
安全な場所を求めて転々と移動させられたのです。

そして、いくつかのグループに分けられた故宮宝物は
それぞれが辿り着いた地において
戦争中ひっそりと保管されることとなりました。

大変な作業を乗り越え、
取りあえず安全な場所に避難できた故宮宝物でしたが、
その輸送コストとエネルギーは
計り知れないほどのものだったと推測できます。

この故宮宝物輸送に関して、
リーダーシップを発揮したのは蒋介石であり、
彼の命令でこれら故宮宝物の輸送には
軍備品輸送の次の優先権が与えられていたと言います。
そのような政治的な介入あってこそ、
膨大な文化財が守られたのです。

そして、ようやく1945年の終戦を迎え、
各地に散り散りとなっていた故宮宝物は、
1947年無事に安息の地南京に戻ってきます。

戦火の中、そこまでして
歴史的文化財を守り抜いた中国の人々の姿勢に
私は素直に感動を覚えます。

 
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2008年1月2日(水)

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