中国古陶磁器 そのロマンを求めて-天青庵

単なる美術品ではございません

第73回
「遼」遊牧民族一瞬の輝き

「遼」と聞いても、
殆どの人はハニカミ王子「石川遼」の名前ぐらいしか
頭に思い浮かばないとは思いますが、
中国史に興味のある人にとって「遼」と言えば、
やはり10世紀〜11世紀、中国の東北部において建国された
遼王朝が真っ先に頭に浮かぶ事でしょう。

「遼」とは遊牧民である契丹族が中国国内の混乱に乗じて、
中国の東北部に侵入し
その地域を武力で制圧し建国された征服王朝です。

その遼王朝時代の陶磁器なのですが、
これは後に続く元王朝同様、
陶磁器生産に力を入れるという事はなく、
同時期の中国の正式な王朝であった北宋から
その多くを輸入していたと見られています。

特に皇室で使うような重要な陶磁器は、
北宋で作られた高級品を流用していたようです。

遼の皇族や官僚と言っても、元々は草原を走り回っていた訳で、
そんな彼らが中国に侵入しその文化レベルの高さを知り、
そういう生活に憧れていくのは自然な流れだと思います。

そしてしばらくは征服王朝らしく、
征服した側の文化を楽しんだ事でしょう。

しかし12世紀初頭、遼王朝は宋と金の共謀によって滅び、
また西方の高原に放り出されます。

結局、短命に終わった遼王朝時代ですが、
遊牧民族である契丹族独特の感性と言うか、
その個性の輝きを一部の陶磁器に遺しています。

それらは、宋の陶磁器とは全く異質の感性で作られており、
彼ら独特の明るい色を使った焼き物です。
それらを遼三彩と呼びます。

また、彼らは元々陶磁器など持っていませんでしたので、
わざわざ日常彼らの使っている革製品を
陶磁器で模した作品もあります。

それは「皮袋壺」とか「鶏冠壺」と呼ばれ、
遼時代の代表的な陶磁器となっています。

遼三彩

その独特の色使いは遊牧民独特の感性からきている。


皮袋壺

鶏冠壺とも呼ばれ、
革製品を模してつくられている。
横浜ユーラシア文化館 収蔵品
解説リンク

 
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2008年3月28日(金)

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