中国古陶磁器 そのロマンを求めて-天青庵

単なる美術品ではございません

第249回
新企画! 目利きへの道

どうして人間は同じモノを見ても、
ある人は「これは、素晴らしい!」と感動し、
ある人は「なぜこんなつまらないモノが何億円もするのか?」
と訝しがるのでしょうか?

本来、人間も含め全ての生物にはその種その種が持つ
本能的な『美』に対する評価基準みたいなものがあり、
基本的にはそれは普遍的なものだと思います。

つまり、人間ならタマムシの羽の色を綺麗だと感じたり、
吉永小百合を綺麗と感じたり、
セーシェル諸島の夕焼けを綺麗と感じたりする・・
この『綺麗さ』は
どんな人間も同様に感じる本能的なものだという事です。

しかし、芸術品や美術品、
また骨董品などを評価する時には人間が本能として持つ
この「綺麗さ判定機能」はあまり役立ちません。

例えば、芸術品などを鑑定する際、
直感的に綺麗と思った方が贋作だったり、
安物だったりする事が多々あります。

焼き物で言えば、桃山時代の地味な茶碗よりも、
現代陶工が作る最先端の青磁の方が何倍も綺麗です。
しかし、その評価や価格は薄汚い茶碗の圧勝となります。

つまり、本能的に「綺麗」と感じる作品=評価が高い作品
とならない所に、目利きの必要性が出てくる訳です。

目利きと言えば、何となく胡散臭い印象を与えると思いますが、
決してそうではなく、ゴッホやピカソを世間に見出した人、
汚い茶碗に詫び寂の美を見出した人こそが本当の目利きです。

つまり、本気で芸術や美術や骨董を愉しむ為、
又その作品が持つ価値の全てを感じる為には
その作品を取り巻く全ての知識が必要となってくる訳です。

一つはっきりしているのは、
自分の本能だけで見ている間は
どんな有名な美術館に行っても
退屈な時間を過してしまう事になるという事です。

芸術品を素晴らしいと感じる為には、
それなりの努力が必要です。

どんな趣味でも同じですが、
熱中する程好きになれる人は
やはり一定の所までは意識せずとも
なんらかの勉強や努力をしているのです。

芸術品や骨董品を正しく評価する為の目利き。
これは一つの学問であり、追及する価値のあるものです。
そんな勉強を少しづつやっていきたいと思います。
では一つ、問題

下の二点の絵画はどちらも1990年頃に書かれた中国絵画です。
評価、価格とも圧倒的に高いのはA・Bどちらでしょうか?

 

 

 

答えは・・Bです。
Bは丁招光という有名画家の作品です。

価格的には実際の落札価格として、
Aは日本円で約50万円、Bはなんと約3000万円です。

ちなみにBのコピー作品は
中国どこに行っても見る事ができます。

 
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2009年5月13日(水)

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