無駄のない人間はスケールが小さい
そういった意味では、一高、東大と進んで、一流会社に入社し、サラリーマンとしてのエリー卜・コースを歩むのは、本人としては得意満面のところがあるかもしれないが、私などから見ると、正規軍の兵士みたいなもので、少しも面白くないし、波乱万丈の人生コースを体験していないので、人間としての幅もできてこない。
それに比べれば、同じエリート・コースを歩いてきた人でも、途中で失意の時があったり、冷や飯を食わされたり、修羅場を越えてきた人の方が人間ができているし、そもそもエリート・コースとは無縁なところから始まって、人生の裏玄関、裏階段をよじのぼってきた男の方がずっと人の心をとらえる。その魅力はどこから来るかといえば、尋常一様でない体験を積んだことに源を発している。前に私は「ゲリラに転落するくらい何でもない」といったが、ゲリラになると、道なき道を切りひらいて行かなければならないので、人生の回り道を歩かされるばかりでなく、非能率で無駄の多い生活体験を強いられる。
エリート・コースの最短コースを目指す人から見たら、「何という時間の浪費か」ということになるが、ここのところが一番のフシであり、このフシのところをどう切り抜けるかによって人物のスケールがきまってしまう。だから、茨の道を切りひらくための非能率で無駄なコースがなければ、人間としての成長もあり得ない。職場にかよう、二十分か、一時間も惜しんで「職住接近」を説いているのに、その一方で回り道や無駄のすすめを奨励するのは一見、矛盾しているように見えるが、無駄と思われたものがあとで役に立つことが多いのである。
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