裏階段だってある
のちに私は台湾政府に迎えられて、亡命後二十四年ぶりに故郷へ帰ったが、台湾の新聞という新聞が一頁大のスペースをさいて連日のように私の帰国を報じたので、私はたちまち台湾中に名を知られるようになった。こんなことが歴史の流れから見て、立派なことかどうか、もしくは、正しいことかどうか、まだ何とも言えない。後世の判断を仰ぐよりほかないだろう。しかし、私が台湾へ帰った時、昔、私が一年だけ勤務していたことのある銀行の総経理(頭取)が幹部たちを集めて私のための歓迎会をひらいてくれた。
「もし私があのまま銀行に勤めていたら、今頃は、延平北路の経理(支店長)くらいにはしてもらっているでしょうかね?」
と私は冗談めかしていった。
「いやいや、恐らくあなたは頭取になっているでしょう。でも今のあなたは私よりずっといい地位ですよ。自分の思ったことを何でも思い通りにやれるのですから」
と総経理は私にお世辞をいった。私の地位が銀行の頭取よりよいかどうかはわからないが、私の方が自由でもあるし、収人も多いことは事実である。そうなった原因は何かというと、それは私が「ゲリラに転落することを恐れなかった」からであり、また私がゲリラでなければ味わうことのできなかったさまざまの苦杯をなめ、それを梃子にして自分の生き方を決めてきたからである。
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