時間は残酷に過ぎ去ってゆく
皆さんが私のような錯覚を起すものかどうか、私にはわからない。私は今でも時々、まだ自分が学生であるような気分になる。滅多に行かないけれども、たまに本郷のあたりを通りかかる。時間があると、車を下りて、銀杏並木のあたりを散歩する。すると、自分が大学生の昔に戻って、東大の正門をくぐって講義をききに行くような気分におちいる。
何しろ自分に自分の姿は見えない。行きかう若い人波は、詰襟や角帽こそかぶっていないが、若い大学生が多い。すれ違う人は、一人の老人が歩いているな、と思うだろうが、私は腰も曲っていないし、歩きぶりも若い時とは変らない。それに何よりも、私は大学を出てから、大学と全く関係のない世界に住み、卒業後は大字と何十年間も断絶してきたので、四十年前の世界とそのまま連続している。だからあの時分と同じ気持ちで、自分の錯覚の中に浸っていることができるのである。
しかし、もちろん、それは瞬時のことにすぎない。もう私の同僚でさえ大学は定年退職をして名誉教授になってしまっている。私は職業柄、定年のない世界に生きているが、ロールスロイスの車を歩道の脇に待たせて、赤門の塀の外を歩いていると、そのまま学生の昔に戻ってしまうのである。
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