もっとも妻に譲る気があっても、夫に譲る気がなかったり、その逆であったりすれば、途中下車は避けられなくなる。だからどうしても「お互いに」というところに力が入ってくる。
人生の長い道程には、夫がピンチにおちいることもあれば、妻が困難にぶつかることもある。お互いに困った時に助け合う精神があれば、ピンチは乗りこえられる。そういった意味では、お互いに対する愛が大きな前提になるが一口に愛といっても、いろんな種類の愛がある。
恋愛の「愛」とか、性愛の「愛」は人間のサガみたいなものであって、燎原の火のごとく燃えあがるが、燃えつきてしまうのも早い。
もしそういったものが前提になって夫婦愛とか、結婚生活がくみ上げられているとすれば、とても二十年も三十年ももったりはしないだろう。「結婚は恋愛の墓場」と言われ、また恋愛ではじまった結婚に破局が多いのは、そうした長続きのしない愛情を接着剤としているからである。
だから「互愛」は一番最後にまわされて、「互譲」と「互助」が「互愛」に優先する。またそれくらい控え目の愛でなければ、とても最後まではもたないのである。私はよく「金銭の長期分割払いよりも、愛情の長期分割払いが大切です」という話を、結婚披露宴の席上でやるが、最近の風潮に見られるように愛情は一括払いで、結婚式の費用だけ分割払いとなると、支払いがとどこおって社会全体が破産する心配なしとしない。
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