なぜ日本人にそれができて、他の先進国や発展途上国にそれができなかったのか。これは確かに研究に値するテーマであろう。日本人はさしあたりメシを食ってゆく必要に迫られていたので、「売れる商品」を開発することには熱心だったが、基礎的な研究とか、原理原則の発見にはそれほど関心を示さなかった。
ホンダの創業者、本田宗一郎氏が中央研究所をつくったとき、「わが社の研究所は、商品をつくるためのもので、博士をつくるところではない」と公言してはばからなかったが、この一言は、奇しくも日本の産業界の考え方を代弁したものといってよいだろう。
繊維が日本の輸出商品を代表しているあいだに、日本ではオートバイとか、カメラとか、家庭電気製品とかが新しい輸出産業として育ちつつあった。やがて自動車、ビデオ、そしてコンピュータの時代になった。この過程で日本の基幹産業はようやく糸へんから金へんへと移ってきた。繊維を基本材料にした商品から、鉄その他の金属を基礎材料とした商品の時代に変ってきたのである。
鉄の時代が来ると、日本の産業界における各業種、また各業種に属する各企業の全産業界に占めるウェイトが一変した。造船でも、家電でも、自動車でも、さらには建築でも、鉄を素材に使わないものはほとんどないから、いきおいすべての産業に原料を供給する立場にある製鉄が産業界で中心的な地位を占めるようになった、「鉄は国家なり」とか、「鉄は産業の米である」とか言われ、製鉄会社の社長は産業界の王様として、経団連のなかでも大きな発言権を持つようになったのである。
しかし、三十年たってみると、鉄の斜陽化はだれの目にも明らかになってきた。かつて繊維に起ったことがやがて鉄にも起るようになった。製鉄業もしばらくのあいだにすっかりスケールの大きな産業に成長したが、鉄を素材に使う自動車や家電メーカーもまた鉄に負けないスケールの大きな、かつ利益率の高い大企業となり、鉄の斜陽化を尻目に、次の三十年も続いて産業界をリードする勢いを見せている。
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