短期間で輸出産業を育てた秘密
この三十年に何が起ったか。ふり返ってみると、斜陽化した企業と、成長した企業のスケールがすっかり入れ替ってしまった。売上高でも、従業員の数でも、外貨稼ぎのチャンピオンにしても、すっかり順列が変ってしまった。
たとえば、三十年前の御幸毛織とか、カルピスは無借金を誇る、健全経営の代表格のような優良会社であった。三十年たった今日、両社は依然として健全経営の会社であるかもしれないが、スケールもほとんど変わらないし、従業員もたいしたことはなく、その名を知らない人のほうが知っている人よりずっと多い。それに比べると、トヨタ自動車や松下電器がどれほど大きな会社になったか、ソニーやTDKが世界中にどれほど知られるようになったか、改めて今昔の感を深くする。
繊維産業は戦前の時点で、すでにランカシアをも向うにまわして競争するだけの実力を備えていた。それが戦後、「貿易立国」の時代になると、先頭を切って輸出のチャンピオンになった。しかし、昭和三十年以降に新しく日本の産業として登場してきた自動車や家電は、産業界の新顔であるだけに、いきなり輸出のチャンピオンというわけにはいかなかった。そういう業種の製品が日本の輸出産業として成長するプロセスでは、一億人の人口によって成り立った国内市場がこの上ない「練兵場」としての役割をはたしたのである。
自動車とか家電メーカーは、いずれも戦前から日本にある企業で、戦後になってから新しくできたものではない。しかし、トヨタにしても日産にしても、あるいは、日立や東芝や松下にしても、昭和三十年以前とそれ以後とでは、スケールに格段の差がある。
私が株式投資に興味をもち、新聞雑誌に寄稿するようになった昭和三十四年の時点で、日本の自動車や日本の家電製品が将来、輸出産業のチャンピオンになると予想できた人はほとんどいない。昭和三十四年の時点でのトヨタの乗用車の生産台数は年に二万七〇〇〇台にすぎず、それは昭和二十五年の五四八台に比べるとたいへんな増産であったが、私が科学技術コンサルタントの第一人者に会って、「日本の自動車産業の将来をどうお考えですか?」ときくと、「まあ、まず見込みないでしょうね」と首を横にふられた。
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