資源がなかったからこそ付加価値の鉱脈を掘り当てられた
たまたま日本は資源をその国内に産しなかったので、「資源を制覇した者が世界を制覇する」という十九世紀の帝国主義的思想に駆られて近隣諸国の併呑に熱中した。それが世界戦争を惹き起し、あげくの果てに失敗をやらかして、現有の領土に追い戻された。しかし、この時期を境に、帝国主義は説得力を失い、世界中の植民地が独立して、新しい秩序ができると同時に、新しい混乱が始まった。
もし日本が植民地をもっていたら、おそらく日本人は植民地の独立運動でさんざん手を焼くことになったであろう。幸か不幸か、敗戦ですべての植民地を失ったので、その必要もなくなった。飢餓に直面するようなピソチに見舞われたが、夢中になってピンチを逃れようとしたおかげで、加工業に手を出し、手間賃を稼ぐ仕事で何とかオマンマにありつけるようになった。
そのときは無我夢中で、自分たちが何をやっているか、気がつかなかった。「資源がないから日本は貧乏国だ」「資本がないから、アメリカ人のように大きな事業はできない」と多くの日本人は口癖のように言っていた。しかし、日本人が偶然に鍬を入れたところは、付加価値のとめどもない鉱脈の一角であり、そこから掘り始めると、いくらでも鉱脈は続いていく。ちょっと掘っただけで、メシのタネには困らなくなり、気がついてみると、資源がなければ、資源のある国から買えばよいことがわかったし、そのほうが安上がりであることにも気づいた。
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