チームを組んで事にあたるという共同体意識が先にある
もう一つ、資本家は資本家同士で、また労働者は労働者同士で横に連繋をして、資本家と労働者が対立したり、争ったりする光景は日本ではまず見られない。日本には日経連とか経団連とか、経営者の団体もあれば、近年、再編成の只中におかれている総評とか、同盟とか、労働者の組合もある。これらの団体と組合が相対峙して賃上げ交渉が行われている。しかし、自動車労連とか、私鉄労連がスクラムを組んで、資本家に対して全面ストを打ち出すことはまず考えられない。まず第一に、日本にはマルクスの『資本論』で想定されるような資本家はどこにもいないし、第二に、労働組合はすべて企業内労働組合であって、タテのつながりのほうがヨコのつながりよりもずっと緊密だからである。
もちろん、日本の国にもオーナー経営者にあたる人がいる。一代で事業を築きあげた創業者で、自社株の過半数を所有している人はあるだろう。わけても中小企業では、親の代から続いている会社で、同族によって支配されているものは多い。しかし、今日、株式を上場している企業の大半は、株主が分散され、法人株主と大衆株主によって構成されている。法人株主は企業の経営者に対して原則として白紙委任をすることが多いし、大衆株主は細かく分散されすぎて議案を左右するだけの力がない。したがって、せいぜい零細株主にすぎない、社員あがりの経営者によって会社が運営されることが多く、それらの人々は資本家であるわけでもないし、心理的にも、実体的にも、資本家からはかなり遠くかけはなれた存在である。株主に対しては社員側を代表し、社員に対しては会社側を代表するヌエ的存在で、もともと労働者と正面から対立する立場にはいないから、賃上げ要求に対しても会社に支払い能力があるかどうかが問題になるだけで、払えるものなら、すぐにも妥協してしまうのが現代日本の経営者なのである。経営者もまた労働者なのだから、一緒になって賃上げ闘争をやっている日本の労資闘争はアべック闘争だといわれても仕方がない面がある。
第二の特徴は、何といっても企業内労働組合になっていることであろう。このことが日本の産業を発展させるうえで大きな役割をはたしてきた。戦後、労働組合を合法化するにあたってどうしてアメリカのような職業別労働組合が組織されずに、企業別労働組合になったのか、そのへんのいきさつを伝えるエピソードはきいたことがない。しかし、おそらく労使の対立という階級意識がもともと日本の国土に合わず、藩とか、組とか、会社とか、昔からグループを生活共同体として、その傘の中で生きてきた日本人に受け入れられるのは、企業内で経営者と労働者に分けるくらいなものだ、と当時のアメリカ占領軍が説得されたのかもしれない。
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