あとから遅れてやってきた日本の立場はプロシアに似ているから、外に向っては自由貿易に同調し、内に対しては保護貿易に徹してきた。その目指すところは、外に向っては国際競争に打ち勝ち、内においては自国産業を守ることだから、「富国強兵」思想の延長と言えばきこえはよいが、国を単位としたかなり徹底した利己主義と言ってよいであろう。
この面で日本はかなりの成功をおさめている。自分たちの得意とする工業生産で世界のトップに躍り出、経常的な大幅黒字によって世界中から怨嵯されたり、羨望されるようになった反面、そのプロセスで通産省や農林省や大蔵省のとった保護政策は目を見張らせるものがあり、高い関税率を外国製品に適用しただけでなく、外国資本が日本の企業に資本参加したり、日本で投資することにきびしい制限を加えてきた。政府がそういう基本方針で臨んだだけでなく、それぞれの民間企業もまだ芽を出したばかりの事業が外国企業から摘み取られることを恐れて、トヨタ自動車のように外国人を取締役に参加させないことを決議した会社もあった。当時の日本の自動車産業はまだスケールが小さく、アメリカのビッグ・スリーの一社の一年間の利益だけで日本の自動車メー力ーがそっくり買えるというほど大きなひらきがあったのである。
もし日本の自動車メー力ーが今日のようにアメリカ本土でアメリカのビッグ・スリーと互角に組んでなおたじろがないばかりか、アメリカに大きなマーケットを築くようになることが予想できたら、はたしてアメリカ政府が日本人の保護主義を見逃したかどうか。少なくとも日本人の保護政策は、自動車とか、家電製品とか、 コンピュータなど、今や日本の産業界を代表する業界では大成功をおさめたといえよう。

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