米の自由化論争は日本人の思想をハダカにする
ところが、いくら保護をしても国際競争力を持てない分野になると話が違ってくる。効果を発揮できないばかりでなく、やがて完全な失敗となって国全体の重荷となってくる。たとえば石炭産業を維持するために、長いあいだ輸入石油に税金をかけてきたが、結果は石炭産業の息を吹きかえさせることができなかったばかりでなく、斜陽化によって閉山に追い込まれることから石炭産業を守ることすらできなかった。自由に放任しておけば産業界の再編成が早く進んだのに、よけいなお金を投じてエネルギー産業の合理化を遅らせる結果に終っている。
恐らく農業政策に対しても、多くの日本人が同じ思いをしていることだろう。戦後は、農業社会から工業へ転身してきたので、工業が発展するにつれて日本では農業から工業へ人口の大移動があった。人口が移動するプロセスで賃金の上昇、所得の増大が起っているから、農業の分野でも工業と同じような生産性の向上と技術革新が起らなければ、農業そのものが成り立たなくなってしまう。もちろん、農業の分野でも機械化がすすみ、化学肥料や農薬の採用によってある程度の進歩はあったが、いくら頑張っても、工業のそれには遠く及ばない。そのまま放置しておけば、農業は国際競争力を失って荒廃してしまう。荒廃してしまっても、工業の発展がそれを力バーしてあまりあるから、国全体としてはメシが食えなくなる心配はあまりない。現に日本の都市経済はどんな不景気のときも常に人手不足に悩まされている。
そうしたなかで農村の荒廃を救おうとすれば、将来、財政上の大きな負担になることはだれの目にも明らかである。だから香港のように、意識的に自由貿易に徹し、農業を見殺しにした地域もある。つい二、三十年前までの香港では、市街地を少し離れると、農村地帯が見られた。私が住んでいたころは、田畑もあったし、果樹園もあった。また養鶏場、養豚場もあった。もし香港政府がこれらの農民に手をさしのべようとしたら、大陸をはじめ、アメリカや日本やアフリカからの農産物の輸入に禁止的課税をしなければならなかったであろう。
もともと自由港を看板にしてきた香港では、関税という観念がなかったし、自由競争に打ち勝てないような産業を無理やり成り立たせようという思想もなかった。だから、農業が滅亡するのを自然に任せるよりほかなかったし、はじめから政府の保護を期待できない農民としても、転業をして生計の手段を見つけるよりほかなかった。香港のように平地の少ないところでは、住宅地が次々と郊外に拡がっていったから、郊外の土地も値上がりをして、農民たちはサラリーマンたちも羨む土地成金となった。おかげで香港は農業助成金という名の財政負担にわずらわされることもなく、かと言って、食糧の不足に悩まされる心配もなく、ちゃんと輸入でそれを賄ってきた。なにせ保護する農民がいないのだから、世界中どこからでも一番安い食糧を輸入して、物価高にストッブをかけることができたのである。
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