日本国内に住んでいる限り、日本人が豊かになれない理由

しかし、世界中のお金が日本に集まるということは、日本に集まったお金がそのままいつまでも日本国内に滞留しているということではない。海外からお金を受け取った日本人および日本企業は、国内でいつまでも「花見酒の経済学」をくりかえしているわけにはいかない。お金をくるくるまわすことによって株の値を上げたり、不動産の値を上げたりして、その利ザヤを稼いだりすることができる。しかし、この利ザヤは付加価値ではないから、いつどこで吹っとんでしまうかわからない。仮に付加価値であると強弁しても、ある一定の期間内に息も切らさずに押し上げていくことはできない。第一、値が上がったとしても、同じ物の交換価値が上がっただけで富がつくり出されたわけではないから、金融によって生み出された富は、その国の豊かさを示すものではない。
たとえば、1000万円で買えたマンションが一億円に値上がりしたとする。マンションの所有者はそれだけ資産がふえたことになるし、借金をしてそれを手に入れた人は、借金をかえせば一億円はまるまる自分のものになるから、お金を儲けたことになる。しかし、今までにマンションを買わなかった人や新しくマンションを買おうと思う人は、同じように働いても、今までの十倍の値段ではとても手が出ないから、同じ国にいながら、今までよりずっと貧困になったことになる。こういう貧困感を呼び起す社会が豊かな社会であるはずがない。
日本人にとって、日本国内に住んでいる限り、日本は決して豊かな国ではないのである。しかし、客観的にみて、日本人が豊かでないかというと、もちろん、そんなことはない。口本の平均サラリーマンの一ヶ月分のサラリーはアメリカ人のそれより高いし、東南アジアの国々の(NIESの国々を除けば)一年分のサラリーか、あるいは、それ以上にあたる。円高がすすめば、その差はさらに大きくなる。それでいて貧困感から逃れられないとすれば、日本人は現に享受している収入と財産を失わない範囲内で、海外に移動するよりほかない。同じように、日本に集まったお金も、株価を押し上げたり、地価を押し上げたりしてキャピタル・ゲインを稼ぐことはできても、それができなくなれば、利回りが二%か、三%しかないところでウロウロしているわけにはいかない。とすると、人もお金も国内にとどまってはいられなくなり、海外に向って大移動を始める。銀行も証券会社も、日本国内の情報だけをあてにして海外で商売をやってはいられなくなる。いやでも海外に根をひろげなければ、日本人は今まで築きあげてきた富を維持していくことすらできなくなる。

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