輸出超過国の資本が貿易赤字国の産業を支配する

為替の自由化や海外旅行の自由化には、そうした国際価格の平準化を促す作用があるが、それでもパンの値段、オレンジや牛肉の値段はいくら貿易の自由化が叫ばれても、平準化からはほど遠い。たとえば、私とスペイン旅行に同行した青年がグラナダの町を歩いていて果物屋の店頭で見事なオレンジをみたので、「これ、ください」といって、オレンジを買った。一○○ペスタと書いてあるので「一個二○円ではあまり安くもないなあ」と思いながら、大きな奴を四つ選んで「いくらですか」ときいたら四つで一○○ペスタだった。キロ単位の値段で、色のよい、ピカピカ光った、甘いオレンジが四つで二○円は日本人の感覚では「安い」の一語に尽きる。
物は、貿易制限の扉が打ち砕かれるにつれて安い地域から高い地域に動く。スペインのオレンジが日本で四つ一○○円で売られる可能性はないとしても、二個で一○○円くらいのことは将来、起るかもしれない。しかし、ホテルに泊るとか、レストランに食べにいくとかいったことは、サービスを受けるほうが自分のほうから出かけていくよりほかない。したがってお金の動きという面からみれば、日本のようなサービス先進国の工業製品がアメリカに売り込まれ、アメリカの一般大衆が外国製品を買いすぎて、アメリカ政府が日本に支払うお金に不自由するようになる。すると、ドルの為替レートが下がって日本に払うドルがますます多くなって、彼我のふところ具合が逆転する。そうなったらアメリカ人が節約をして国家財政を立て直したり、貿易収支の改善に乗り出したりするかというと、その気配は一向にみえないから、日本人は自分たちの手に移ったお金をどう使うか、新しい問題に直面するようになる。
そのお金は外国のお金であって、日本のお金ではない。一人一人の人が受け取ったドルをことごとく円に換えてしまったのでは、日本銀行だってそれに応じきれなくなる。受け取り超になったドルに見合う分のドル買いが行われなければ、ドルは下がる一方になる。さいわい、日本の生命保険会社のように、ありあまる保険の掛け金を、ドルに換えてアメリカの国債に投ずる動きがあり、おかげでドル安とともに為替差損が生じてたいへんな損失を被ったが、一方的なドル安になるのをかなりの程度、食い止める動きもしてきた。
またドル安によって、日本国内で高い外国製品を買うより、日本円をドルに換えて外国旅行に出かけ、外国でサービスを受ける日本人もふえている。日本人が受け取った外貨は、外国旅行に出かけて消費されるか、でなければ、日本の経済力と技術力を背景にして外国で投資するか、の二つのうちのどちらかによって、またそれぞれの国に還流していく。お金はそのままそれぞれの国に残るが、持ち主は輸出超過国の国か、企業か、個人だから、アメリカの経済そのものは一応スムーズに動いているようにみえても、輸出超過国の資本が貿易赤字国の産業を支配するという新しい構図が生まれてくる。アッと気がついたら、アメリカの産業界を日本の企業が支配しているという産業地図ができあがり、そうなってもアメリカの国民感情が無事平穏であるかどうかは今のところ何とも見当がつかない。

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