日本を支えてきた諸制度も社会的矛盾の拡大で見栄えのしないものになってきた

占領下の日本で、日本人が自ら進んでこんなにも社会主義的色彩の濃い制度をとり入れたとはとても思えないが、アメリカに強制されたにせよ、一旦、議会を通過し、現実に実施されると、日本の国全体の所得の分配とお金の流れは決まってしまった。日本人は、他国民に比べると、遵法精神が強く、税金をすすんで支払う気風がある。といっても、皆が皆、脱税をしないというわけではないが、近隣諸国とは比べものにならないくらい遵法精神があるので一つの企業の中で社長や重役の税引後の収入と新入社員の収入にそんなに大きなひらきがないような分配制度ができあがってしまった。社長と新入社員の実質収入が七倍以内といったことは、資本主義の先進国にも、発展途上国にもまずみられないことであろう。
おかげで、二十一世紀を待たずに、「自分は中流だという意識を持った人間が国全体の九○%以上も占める」という貧富の差の極端に少ない国がアジアの東に出現することとなった。これは税制がお金の流れを決定づけたことによって生じた現象であるから、税制のゆがみがそのまま社会組織や人々のふところのゆがみとなって現われる側面も持っている。たとえば、個人所得には累進税率を適用するが、法人所得に対しては、一律の税率が適用されているから、一定以上の所得の期待できる商売は、実質個人商店であっても、ほとんどが法人に化けてしまった。またサラリーの捕捉率が一○○%であるのに対して、中小企業や農家には必要経費や免税がみとめられているので、俗にトーゴーサンといわれているように、中小企業の店主のほうが一流企業の雇われ社長よりずっと金回りがよいという、外国では考えられないような怪現象も起っている。
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