これはどうしてかというと、労働組合の力が戦後、著しく強化されたこともあるが、最大の原因は何といっても緊密なチーム・ワークを必要とする工業生産が日本の経済の主流をなしてきたからであろう。日本が豊かになる条件は、付加価値のある製品を次々とつくり出すことであったが、そのためには国民の最大多数の協力を必要とした。その協力を得た結果は、それによって得た利益の大半を大多数の人々に分配することになった。したがって日本が豊かになるということは、富が特定の少数者に集中することではなくて、広く国民の隅々にまで行きわたることを意味したのである。
このへんのところが、オイル・ダラーとアジア・ダラーの根本的に違うところであろう。オイル・ダラーは石油の採掘と、採掘された石油価格の力ルテル化によってもたらされたものであるが、石油を掘り出すことと、産油国がグルになって値上げをすることについては、それらの国々の国民の協力を必要としない。国家財政と国王のふところがかならずしもはっきり分離していない産油国では、石油からの利益はそっくりそのまま王様のふところに入る。それを国民の福祉に使うかどうかは王様のご慈悲次第である。産油国が金持ちになったといっても、富は少数者の手に集中し、一人あたりのGNPがあがったことにはならないのである。
ところが、日本のような付加価値の創造によって国民総生産をあげている国では、GNPがあがるということは、それが国の隅々まで行きわたることになる。もちろん、工業化に成功したといっても、工業化は大都市集中型か、新しい工業都市集中型だから、工業の発達したところや人口の集中したところと、過疎化の激しいところとでは、恩恵の受け方に違いがある。しかし、人々は恩恵の少ない地域から恩恵を受ける可能性の多い地域にいくらでも自由に移動することができるから、多少のバラツキは避けられないにしても、付加価値の創造によって生み出された富は津々浦々まで浸透していく。産油国の富が頭と心臓の部分だけをうるおしているのに比して、日本人によってつくり出された富は、動脈から毛細血管を通って指の先、足の先まで届く性質のものなのである。
その関所関所みたいなところに、税法が関与して、所得が大動脈ばかりを流れることにストップをかけたのが富の分配を一層平均化させることになったが、仮にそうでなくても工業化は同じような役割を果たす。新しく工業化に成功した韓国や台湾は、日本ほど税金の取り立てのきびしいところではないが、それでも工業化によって人手不足が起ると、労賃が急騰し、一般労働階級の収入が見違えるほど改善された。それをみれば、工業化は富の分配を平均化する力を持っていることがわかる。分配が先か、生産が先か、ということになると、共産主義が予想したのとはちょうど逆のことが現実に起っていることに、いやでも気がつかざるを得ないのである。
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