横山典生  新米のベトナムビジネス物語

ベトナムの証券会社で
唯一最初の日本人社長です

第9回
ようやく契約へ

本格的な証券会社運営準備をする前に、
プロジェクトについて再度現地パートナーと
日本側資本の役割を明確にする必要がありました。

51%は現地株主保有、
49%は外国人株主保有、経営は日本側で行う。
という前提のもとに、さあ、契約書の作成です。

契約書は、大きく3つのポントになります。

1.どのようにして外国資本上限の49%の資本を注入するか。
2.どのようにして日本側資本が経営することを担保するか。
3.途中でダメな場合の撤退条項
 です。

現地パートナーの契約書ドラフトを日本弁護士、
ベトナムの現地弁護士(米国人)に見てもらいます。
むちゃくちゃ直しました。

最終的に契約書が合意されたのは、
10月の中旬頃になってしまいました。
約1ヶ月半もかかった契約書の遅延要因には
2つの事が関係しています。

まずひとつは、現地の米国人弁護士の謎の行動です。
金曜日の夜から連絡が取れなくなり、
時間がないから早く早くとプッシュしていると、
「OK、金曜日までに返信する」といっていて、いなくなります。
メールを送っても、携帯電話しても反応がありません。
やっと月曜日に連絡がとれても、
「Sorry, I was out of town」です。
ふざけるな!ですが、
弁護士と喧嘩するほど英語力や法律知識もありませんので、
日本の弁護士先生にボヤクことが精一杯です。

この米国人弁護士はウィークエンド毎に
タイにいっていることがわかりました。
仕事を放り投げてもいく魅力がタイにあるのか、
税金逃れのためなのか、確認はしませんでしたが・・・。

私もその後、所用で15年ぶりにタイに行くことがありましたが、
その発展振りは目をみはるものがありました。
大きなビル街、いたるところで建設作業がされておりました。
地下鉄やモノレールで交通の流れがよくなっており、
活気とともに、なんといってもマナーが
抜群によくなっていました。

かつては、道の横断にも神経を使い
今のベトナムのような状態でしたが、
車やバイクはかなり歩行者を意識し、
優先する気持ちを持つように変わっていました。


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2009年8月22日(土)

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