横山典生  新米のベトナムビジネス物語

ベトナムの証券会社で
唯一最初の日本人社長です

第14回
神のみぞ知る

藍澤證券と日本アジアグループの面々との緊急会談のため
成田に向かうハノイからの直行便でしたが、
飛行機は気流の悪いところを飛行中でした。
さらに日本の天候も風が強く大変な状況のようです。大揺れです。

あと1時間以内で着陸予定ですが・・・。
隣の席のベトナム人の彼女も恐怖で真っ青になっています。
腕を組んで何かに耐えているようでした。耐える・・・。
あっ、と気づいたときはすでに遅かったのです。
真っ赤な顔をして口を押さえて
指の間から吐瀉物が流れ出ています。
とっさにゴミ袋を座席前のポケットから取り出して
彼女の口に当てたり、ハンカチやティッシュで
応急処置をしましたが、座席の周りは散々な状況になりました。
それでもCAはきません。

さらに成田に着陸しようとした際に飛行機は、強い横風のために
再度高度を上げ、再着陸に挑んでおります。
さすがの私も緊張しました。

その後入国、荷物の受け取り、税関を出るところまで
親切な中年男は迷子のようなベトナム人女性を見守り、
挙句の果てに、お兄さんと称する男性に電話し
朝9時に空港に迎えに来るところまでを確認します。
待合場所を特定して、
ミネラルウォーターのペットボトルを1本買って
持たせてあげたのです。
息子よ、お父さんを尊敬しなさい。

さて、私は空港からそのまま、
藍澤證券と日本アジアグループに出向き、
事情説明を行いました。
ベトナムビジネスの事情説明です。

結論は、簡潔であり且つすぐに出ました。
邱永漢氏が出資できなければ、各社も出資しない。
ということです。

邱氏が日本に帰国される日を待って訪問し、
最終的な意思決定をしてもらうことで合意し、
藍澤證券からも随行していただくことになりました。

邱氏の事務所に伺う車中で、
私は香港事務所で大変叱られたことや、
邱氏が簡単にはご意思を曲げられるようには
思えないということを申し上げておきました。
この時は藍澤證券から随行していただいた方も、
ほぼ撤退するといったお気持ちだったと思います。


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2009年9月3日(木)

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