横山典生  新米のベトナムビジネス物語

ベトナムの証券会社で
唯一最初の日本人社長です

第22回
急ピッチの準備

2008年も11月の後半に入ろうとしていました。

オフィスの内装にあたっては、
現地金融当局(SSC)の指導により、
来店する一般投資家を受けいれることが可能な
十分なスペースを確保する必要があります。

われわれのオフィスは場所的にも市街から離れており、
中心となる対象顧客も機関投資家や外国人でありますので、
職員のワーキングスペースを中心に考えていましたが、
すべて変更することにしました。
時間がありません。
日程的には12月上旬までにはSSCの審査を通したい考えがあります。
レイアウトの確定をするやいなや強引に工事を始めます。
各種むき出しの配線を安っぽいカバーで覆って、
「きれいにできただろう」というので、軽く踏んづけてみたら、
パリンとプラスチック製のカバーが割れました。
大丈夫かいな?日々変わってゆくオフィスの光景を
子供の成長をみるように毎日楽しくみているつもりでしたが、
現地の業者からするとあまりに細かい指示だったようで、
業者から現地パートナーにクレームが入りました。
分かりましたよ。
ちょうど一時帰国の予定が入っていたので
現地パートナーに任せることにしました。

日本はだんだんと寒くなっていく季節になっていました。
ハノイにも四季はあるとの事ですが、
桜を咲かせるほどの寒さにはなりません。
軽いコートをひとつ買いました。

SSCの審査が通ると、
基本的には証券会社の入れ物(箱)ができることになります。
この箱に魂(実際の証券業務)を入れていくのは
忍耐と時間と労力、さらに知識と経験が必要になってきます。
忍耐はありますが、時間が迫っています。
労力は自分だけでは不安です。
知識のために現地人のキーパーソンが必要です。
経験は証券業界の範囲では持っていますが、
ベトナムというものを理解しなくてはなりません。

出身母体である日本アジアホールディングズと藍澤證券さんに
人的な支援ができないかお願いしました。
そろそろ自分ひとりでは苦しくなってきていた頃です。


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2009年9月22日(火)

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