横山典生  新米のベトナムビジネス物語

ベトナムの証券会社で
唯一最初の日本人社長です

第25回
カギを握るもの

2008年12月3日を鮮明に記憶しています。
帰国中の私のPCに、現地パートナーから
午後7時頃(ベトナムでは5時)メール連絡が入ってきました。
SSCの審査が無事終了したとの連絡です。
大きな前進です。

この審査完了によって、サクラ証券が
証券業務をするのに十分な用意がされているという
御墨付きをもらったということです。
正式証券ライセンスの交付はこれで時間の問題となったわけで、
12月中には取得できる可能性が強くなったのです。

日本側資本からの人的支援とは別に、本格的に現地社員、
しかもキーパーソンを採用してゆかなくてはなりません。
SSCの審査用に7人の証券業務資格保有者の名義を借りて
申請を出していますが、そんなものは何の役にも立ちません。

そんな時、第4回のコラムで紹介した
現地証券会社を思い出しました。
私たちよりも早い段階で準備を始めていたのですが、
資本金が集まらず、
SSCの審査が通っていないとの噂を聞いていたのです。
この会社も新興証券会社として苦難の道を歩んでいました。

この会社に訪問したときに、
日本語のできる女性社員が応対してくれました。
その後一度、この女性社員と食事をしたことがあります。
引き抜きが目的で、もちろん固辞されましたが、
いい印象が続いていたことに変わりはありません。
ハノイ貿易大学を卒業し現地の日系商社を経て、
京都大学、大阪市大に留学経験を持つ才媛です。
もう一度会いたい旨の連絡をし、会ってもらいました。
もちろん当社へ入ることは再度固辞されましたが、
なかなか立ち上がらないこの会社で
一部の社員が不安を持ち始めているのは確かであったようです。
「何人かの友人に、貴方の会社に興味がないか聞いてみます。」
との返事をもらうことができました。

後に私の右腕となるこの女性は、
この当時のことをこのように表現してくれます。
「社長(私です)の顔がよかった
(ハンサムという意味ではありません)から信頼しました。
そして日本人の経営ということに興味をもちました。」

私が長く伸びた眉毛を切るようになったのは、
このようなことがあった以降のことだと思います。


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2009年9月29日(火)

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