第42回
上海から船に乗って南通へ
1988年の中国旅行は北京・上海のような大都会だけでなく、
長江(揚子江)を船で上って江蘇省の南通まで参りました。
ここを拠点にマイクロバスで農・漁村を回りました。
各地の青年たちとの交歓もでき、
開かれつつある中国の一端に触れられたのは
幸せなことだと思いました。
これも南通市における唯一の邦銀・N銀のI所長のお陰ですが、
地元では連夜、歓迎会を開いて下さり嬉しいことでした。
テレビで観てはいましたが、
ホスト役がお客の皿に料理を取り分けて下さる、
あの西洋料理のマナーとはちがう、
親しみのこもったおもてなしも、いいものですね。
1988年当時、
小・中学生を含む日本人の家族旅行は珍しかったのか、
話題も広がり、和やかなものになりました。
話題になったのは人口制限でした。
上海の街でも一番大きく目に付く看板は
「晩婚・少生・伏育」
つまり結婚はなるべくおそく、子供は一人、
優秀な子に育てましょう、というのですね。
人口は10億を超えて世界一、
通訳の青年も新婚3ヶ月でしたが、
「順番があるので」と口ごもっていました。
山崎は分からないことがあれば
「ナゼ、ナゼ?」と聞くことにしています。子供みたいにね。
これには中国人の通訳も閉口したらしく、
おしまいには、相手の言葉を訳してくれた後、
「これは「なぜ?」と聞かないで下さい、
とクギをさされてしまいました。
確かに話によっては「ナゼ」と聞かれると困るでしょうね。
山崎も食後のくつろいだ会話の中で
「中国は老人を大切にする国で羨ましい、
日本では年を取ると、若い人から、
オジン、オバンとからかわれるのですよ」
と話したら、今度は相手から「ナゼですか」と聞かれ
困ったことがありましたからね。
こんな世間ばなしをしてる中に、
「近くて遠い国、中国と日本」
紹興酒の酔いも手伝って、
お互いの気持ちが近くなった気分になりました。
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